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守破離

同じ題材を見て絵を描いても、1人1人違うものになる。
ハートを描いても、同じピンク色を塗っても、余白を多くするかキャンバスいっぱいに描くか、ちいさいものを数多く並べるか。
混ぜる力やハイライト、影などで印象は様変わりする。

私のチョークアートの先生に似顔絵の仕事をもらった時、完成した作品を見せたら

やっぱり涼子ちゃんだよねー。

と一言。それ以上何も言わないから少し不安になったけど、ダメならそれ以降仕事を回してこないはずだから、大丈夫なんだと解釈。

その人の手から生まれるものは、それ以上でもそれ以下でもなく、ただその人となりが強烈に出る。

同じくらいの技量の人の作品を見た時に感じたことだけど、その人の核を隠そうとしたり強制するのは利き手を変えるくらい大変だし、違う誰かにはなれない。

同じ色の順番で塗り重ねていても指から伝わる熱で微妙に色合いが変わる。

絵って、たとえるなら裸を見せている感覚に近いかもしれない。よくよく考えると恥ずかしい。


ただ私と同門の人の作品は、どうしても先生に似たタッチになってしまったり、あっ!この人あの先生に教わってるよねっていうのがわかりやすい。

でもそこを破っていこうと思うと、タケノコみたいにひょっこり、新しい描き方を自分に許可できるようになってくる。旬のものは美味しい。
旬のうちに試したほうがいいことってある。

守って破って離れる。

すました顔をしていても、しっかり絵の中に私が居座っている。

破ったり離れる最中でも、描く上でなくしちゃならない部分は守の中にある気がする。
そこは間違えないように周りの意見も聴いて、でも最後は自分の声を信じてこんな風に生きていきたいです。


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