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妄想仮想闘争会話

「わかった!それから…
もう、こういうのもいらない。
こんなのエサだ!もういらない。」

言い争いの最後の言葉が
たとえば コレ。
ラップされてある餃子やサラダなど。
メモは無し。温かくもない。

たしかに…
愛がこもっているようにも
優しい気持ちもないように見える。
一応、やりました!的なヤツだ。

①強気な反論をしたら
「エサ??エサって何よ!
それは言い過ぎだよね!そこまで言う必要
あるのかな??」

「だったらどうだ?この料理には
丁寧さなんか微塵も感じられないし
こんなの食べる気になると思うか?」

②普通の会話のペースでしのぐ
「ひどーい!いや、
エサなんて思ってるわけないじゃん!
あっためようか??」
怒ったような笑顔で言う女子。

③傷つく
「そんな風に言わなくてもいいじゃない。
ひどいよ。私だって、こんな食卓にしたかったわけじゃないのに。……。」涙

「何が気に入らないんだよ。だったら
もっと嬉しくなるようなもの作れよ。」

④無表情で受け入れ黙る。
「あ、そう。わかった。」

どれがいいとか、悪いとかじゃなく
この言葉が宙に浮いたときの双方の感情
立ち位置 歴史 事実 癖 性格
様々なものが絡んでくる。迷路だ。

男の方も そこまで怒るには理由がある。
女の方も そこまで来た過程に訳はある。
どんな些細な言い争いも大きな喧嘩も必ず
感情の他に積み重なった理由がある。

酷い言葉も酷い態度もどちらも悪い
そして悲しい 痛ましい
そこに必要なのは どんな心??
傷ついてしまうのは弱いの??

関係性にもよるし、やっぱり
いい悪いの線引きは難しい。
だが、しかし。エサは言い過ぎではないか??
角が立ちすぎる。弾みで出た言葉なら??

だとしても、結構な音ではないか??
もしも、「ごめん!言い過ぎた!
でも、たぶんこれは無い!」くらいな
フォローがあれば。空気は和らぐ

「ちょっと!もう一度言ってごらんなさいよ!
本気でそんなこと言ってるとしたら最低‼︎」
くらいの勢いで食ってかかれば
健康的な喧嘩成立して笑い話にもできたかも。

その後のお互い沈黙。は1番始末が悪い。
思っていることは伝わらない。
何を考えてるのか?なんて検討もつかない
そんな喧嘩や暴言は全く意味がない。

そこから軌道修正していくのは
なかなか骨の折れる作業になる。
何が言いたいか?というと
言葉も態度も空気で地獄にも喜劇にもなるということ…

どれも間違ってないし、
怒るのも 悲しむのも 黙るのも まあ、マルだ。
エサっていうセリフは酷すぎるが
ラップのかかった晩御飯にだけじゃない怒り

そして悲しみ 諦め やるせなさ それも
出すことで楽になるならば まあ、マル かな?
でも酷い言葉を使うと それは自分にも毒を蒔く
ことになるような気がする

時は戻せない もう進むしかない
どっちが上とか賢いとかじゃなくて
快適に暮らすためには やはり
月並みすぎるが、相手の立場に立ってみること

から始めるか。離れてみるか。
正直に話をしてみるか。無かったことにする。
…か。無かったことにする。は、根を残す。
全て話すのもよいが、余計に棘を指すことも

人と人との間には いろんな風が吹いていて
どっちも大変なことあるよねーって
でも時間は有限だしねーってサラサラ吹いてる
嫌いな自分で長く過ごしてると

本来の自分が消えてしまいそうになるから
健康によくない。明るい喧嘩は素敵だな。
長引く風邪は命とり。妄想だけではわからない
事実と真実と思いの中で人は生きてる

できることなら 優しい言葉を使って
はっきりと嫌なことも感謝も伝えていけたら
汚い怖い言葉を使って体力消耗して
相手も自分も傷つけないでいけるといいな

やわらかな笑顔と あたたかな心で
生きていけたら素敵 焼きたての餃子は美味しい
ビールもお代わりしてたくさん食べたらいい
簡単なことだ。

簡単なことが なかなかに難しいときがある
だったら 難しい気持ちは簡単なことで
突然のように解放されることもあるのかも。
美味しくみんなで笑って食べるって

きっと すごく しあわせ(๑˃̵ᴗ˂̵)
作るのも 食べるのも きっと楽しい
仲良く過ごせたら 意地悪な言葉なんか
必要無くなるだろう。。

そして そんな言葉はかっ飛ばして
笑って言い返しちゃう肝っ玉かあちゃん
カッコいいな。見た目はむしろきれい目で。笑
魂は生粋の肝っ玉かあちゃんで。

妄想仮想闘争会話も分解してしまおう
自分のこころはきっと自分で治せる気がする
どんな自分で生きていきたいか??
ならば希望受容改革会話とかどうだろう?


#エッセイ #言葉と態度#やさしい音で#あこがれ

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