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緑閃光vol.1相互評 2

こんばんは。毎日暑かったり暑かったり、みなさま体調くずされていませんか。睡眠不足でヨッパライのようなテンションですが、だからでしょうか、この間仕事中にグリーンダカラを飲んでたら「あっ!お酒はだめですよ!」と怒られました。理不尽。

そんな緑閃光の宣伝係・桃生苑子から、前回に引き続きvol.1の相互評をご案内します。2回目は私から岡本へのラブレターです。

岡本はな「咲く・タイムラグ」/桃生苑子評

盃となりてほころぶ白椿雲のしづくをいま享けんとす

 コロナ禍を思わせる歌を重低音のように響かせる本連作において、丁寧に春の気配をすくいとった歌を引いた。椿の花は三月頃に開花する品種が多いそうで、この歌も春のどこか重たげな空気のなかで今しも開花したところのようだ。心もち上に向けて開いた花弁を盃として見立てた眼がまず優れており、その花にむかって落ちてくる一滴の雨粒へイメージが連鎖していく。この歌は縁語の力をフル活用しており、

・白椿→雲 白の色彩イメージの連鎖

・盃→(酒)→(雨)→しづく 水のイメージの連鎖

と、相互に縁語が絡みながら透明度の高い世界観を作っている。そして雨粒が吸い込まれるように落ちていく場面を切り取ったことで高解像度のカメラで接写したようなインパクトを残した。

 菜の花の風に混じりてうぐひすのエチュード光は嘘をつかない

こちらは連作の最後を飾る一首。菜の花の黄色が風にそよいでいる、そのそよぎに乗って鶯の鳴き声が聞こえてくるのだろう。まだ若い鶯なのか、鳴き声がどこかぎこちない様子が「エチュード」という言葉で分かる。けきょ、ケケキョ、と懸命に鳴いている鶯の声が具体として描かれ、菜の花から「光」が導かれている。「光は嘘をつかない」という強い言葉の裏にあるのは、「嘘をつくもの」へのまなざしである。光は実体のあるものではなく、明るいけれど鶯の鳴き声ほどに遠い存在だ。主体にとって、嘘をつくもののほうが近しいのだろう。それゆえに逆説的に「嘘をつかない」「あるいはつくことのできない」光への強い想いが感じられる。



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