〈2024年1月1日 月曜〉大人というのはニュース番組が好きなのだと

〈2024年1月1日 月曜〉
大阪市内。ピロリンピロリンと防災アラームがスマフォから鳴って1分後に揺れた。住んでる建物が古いこともあるのか、2分間くらいは揺れが続いたのではないか。子にソファーの上から動くなと伝え、木棚を抑える。

揺れの中で、地震が来た時に、家の中でどこにいたら良いのか危なくないのかという話を子に伝える。なにせ広いとは言えず物も棚も多い部屋だが、基本的にソファーの上かベッドの上にいれば何かが倒れてきたり落ちてきたりしないようにレイアウトをしている。

いつか帰郷していたとき、用事で親戚とバスに乗ることがあった。あれは法事だったろうか。途中、これからバス移動があると知らされたそのひとが急にうろたえて顔つきも変わり普段とは違う口調になりバスの非常口の窓が開くのかだとか消化器だとかを確認してからじゃないと乗れない様子を目にしたことがある。過去に、バス車内にいたとき事故に遭い近くの車が炎上した経験があるのだとあとから母に聞かされた。

揺れが収まり次第、テレビの報道番組をつけ、横目でみつつ防災バッグの中身をあらためる。電池やライトの確認をする。ずいぶん前につくったバッグなので子のパンツタイプのオムツが入りっぱなしだった。不要なので抜いておこうかと思ったが考え直して再度入れる。

子供の頃、大人というのはニュース番組が好きなのだとすら思っていた。地震があった直後に母親がNHKをつけっぱなしにしていて見たかったテレビ番組が観られず「怖がりすぎだよ」と感じた日が記憶の底から浮かび上がってきた。だが、あの日の母にあったのはオバケや暗闇を恐がるのと同じ感情ではなかったのだ。もし災害に直面したとき子らをどう助けられるか、子らが腹を空かせずにすむか、そういった種類の怖がりだったのを実感する。

晩めしはコタツの上にガスコンロを置いてラムしゃぶにする予定だった。使うために出しておいた鍋を突然の揺れの際に手で掴める把手のついた深底のフライパンに変更する。

揺れてからはずっとテレビをつけっぱなしにしていた。テレビからは会見で「その名称を令和6年能登半島地震とすることを決定しました」と気象庁の地震情報企画官が言う声が聞こえる。各地の被害や避難を呼びかけるアナウンサーの声が続く。

家では観たい録画番組の再生時以外では基本的にテレビ放送をつけっぱなしにしていることがないので、普段と違う状況で手持ち無沙汰になった子が、しばらくテレビをみていたあとに「(自分は)どうすればいい」と訊く。子は「佐渡島に大津波はきてないの」と心配そうな声で訊く。佐渡市のユーチューバー動画を気に入ってよく観ているのだ。遠い場所なので今はなにもできない、ただこの地震で誰もひどい怪我をしたり死んだりしませんようにとお祈りすることくらいやと伝えると子はテレビ画面に向かって手を合わせて目をつむっていた。少し共感性が強く出過ぎているな、これ以上はあかんと感じたので、ニュース番組から録画しておいた大晦日のドラえもんスペシャルに切り替える。子はドラえもんスペシャルに夢中になりすぎてめしを食う手がとまり何度か叱る羽目になる。

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