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わりとすんなり出てきた

世の動向や情勢がどうあれ、朝飯を食わせて着替えさせ園に送り、洗濯をして掃除機をかけ、八百屋や魚屋や肉屋やホームセンターで必要なものを探し、園に迎えに行き、しばらく公園で遊ばせ、晩飯を食わせて風呂に入れて寝付かせて、などとやっているとあっというまに一日が終わる。TV番組やPC画面どころかスマフォをみる時間もそれほど多くない。

全国チェーンのスーパーマーケットに掲示されているお店へのご意見板みたいなあれで、「スーパーのビニール袋有償化からなるマイバッグの普及が国際新型感染症の蔓延に手をかしている!」という論を長々と繰り広げているひとがいて、なんというか、ご苦労さん。店の業務改善を要望するでなく、そういうアレな場所として利用されている側面もあって、読むと必ず不愉快になるのでむしろ(逆に・あえて・故意に・自棄になりたいときなど)たまに読む。精神安定上よくないので、あくまで、たまに。

そのご意見板に書かれたなかに「買い物もしない子供たちが店内をうろついていて迷惑なので追い出してほしい」というのがあった。それを目にして頭の芯がスッと冷たくなる。大きめの怒りの波がきたときにはカーッと熱く沸騰はせず、頭の中心部がヒンヤリしてくる。こんなところをうろついているってことは他に行くところなんかないんだろうに。ここいらにはもう、立ち読みで時間を潰せる本屋もなければ、金がなくても集まるだけで楽しいゲームセンターもない。

大阪市内の多くはキツい坂もないペッタリした平地だから自転車さえあれば何処にだって行けるだろう、いろんな景色が見られるだろう、などと、この歳になった私などは感じてしまうけれど、それは歳を重ねたからだ。時間だけは余るほどあった時期の真っ只中にいる者はそのことに気がつかない。

〈もう、子供の時のわたし達には会えないわ!!〉
〈奇跡は誰にでも一度おきる。だが、おきたことは誰も気がつかない〉
(楳図かずお『わたしは真悟』より)

子供時代というものは、大人には見えないところで流れている。暗渠のようなものだ。西暦何年から何年まで・昭和何年から平成何年まで……という「時代」とは無関係に、私の「子供時代」は大人になってからの私が思い出す記憶の中にだけ存在する物語だ。

公園では中学生が地面にスマフォを立てて置き、その前で踊って笑いながら動画を撮っている。彼らの子供時代は、いつか彼らが大人になった時、いま私が目にしているそれとはまったく異なった物語のかたちをとって思い出されることだろう。

別の日。朝、子の着替えをさせていて「保育園に迎えにくるとき水筒にお茶いれて持ってきてな」と頼まれる。先週、陽が落ちた公園で友達と走り回って遊んでいた際に、その友達と親御さんが帰り際に会話をしていて、このようなやりとりだった。
「のど渇いた」
「うちに帰ったらお茶あるよ、自販機のジュースはダメやからね」
「えーっ、いやや、もっと遊ぶ」
「今日はお茶もってきてないわ、だからもう帰るよ」
親からするとこのあと晩飯と入浴と寝付かせがあるわけで、時刻はとっくに「のど渇いた」に関連づけて子供を帰宅へと誘導しなくてはならない頃合いだったのである。

そして公園は我々だけになった。そういう夕暮れ過ぎの短い時間と光景が、少し前にあった。だから、普段は園の迎えには持って行かぬ水筒とお茶を急に頼んできたのは、「あのとき友達が飲むお茶を用意しておけばもう少し遊べたのかもしれない」ということなのだろう。おまえさんのそういうとこ、好きだよ。あの日の公園のように様々なものが夜の闇に覆い隠されて、いつか何も見えなくなってしまう前に、忘れぬようここに書いておく。

水筒に麦茶を入れて、友達と一緒に飲む用の使い捨て紙コップを用意する。昨今の世情的にコップの使い回しをせぬように気をつかう。コロナ、いろいろあるんだろうけれど、私には子育て中の親御さんの悲鳴ばかりが耳に入る。なお、その日持っていった紙コップはお茶を飲む目的以外に友達たちとの泥遊びで活躍し、あっという間に使い尽くされることとなった。

また別の日。公園で子と遊んでいると「○○さーん!」と呼ぶ声がする(○○の中は私がネット上ではなく日常生活で使っている名前)。なんか知ってる顔に似たひとが近づいてきて、でもこんなとこにおるはずはないから聞き違いかと思ったら、神戸の友人が家族連れで来ていて、偶然にもここ──観光地でも名所でもない単なる小さな児童公園──を通りがかったのだ。友人の住まいからここまで40〜50kmは離れているというのに、あまりにピンポイントな地点での遭遇で笑ってしまった。しばし一緒に遊ぶ。兵庫県と大阪府では公園の遊具に違いがあるなどという話をする。

子の晩飯として、ひき肉と豆腐と白菜とを入れた汁に、最近好きなフリカケを混ぜたおにぎりを用意したが「ハッピーセットじゃなきゃ食べない!」と断言する。まあそういう夜もあるわなあ。子を寝かしつけていたら、butajiとイ・ランの配信が終わっていた。配信時間帯的にリアルタイム視聴できないのは事前にわかってはいたけれど、もしアーカイブ化されて観られるようになったら、配信と記録に尽力された方々と演奏した方々に敬意をもって金を払うことにする。

白シメジがうまいことを知った。白いブナシメジ(でいいのかなこれは)の傘がやたらと大きくて商品名はホワイティという。知らない野菜やキノコの味を知るのは愉しい。高価でなければ積極的に手に入れて試したい。手羽元と炒めてレトルトカレーの具にする(以前にも書いたがレトルトカレーはフライパンで温めたほうがうまい)。牡蠣とニンニクとを一緒に炒めてバターとヤンニョンジャンとアミ塩辛で味付けして白飯にかける。特に後者はデタラメにうまかった。

いつもいく魚屋で「きょう刺身なにありますかね」と声をかけると、「カンパチ、タイ、あと──サバあるよ」と言われる。「えっキズシ用じゃなくてそのままでいけますの?」「刺身でいける養殖があるんやわ」と身の端を少し切って手のひらにのせてくれた。それをなにもつけずにそのまま口に放り込む。「これ、醤油つけるのもったいないくらいやないですか」「なあ、刺身好きは目の色が変わるやろ、塩でもいけるよ」。

鶏のから揚げがめっぽう好きになっている子に、魚のから揚げも食わしてみたろ、ダメやったら自分の晩飯にすればええわと思って、先ほどのサバをひいてもらっているときに「まだ骨を口から出せなくて、小骨あんまりないのどれですかね」と、店頭にあった300円のミシマオコゼの切り身もつつんでもらいながら「(あっ、サバの値段きいてなかったわ……)」と焦ったが、つづけて通ってるとこっちの財布の紐や懐具合もだいたい見当がついてるわけで、そのうえでオススメしてくれる。なので会計はビックリするくらい安かった。これからもあんじょうたのんますという感じで(関西弁としてこれでいいのか自信がない)。

生姜醤油も悪くないけれど、塩で食べるのはとてもよかった。

ここのところnoteの更新を書き込むときの前後くらいしか見なくなっていたTwitterのタイムラインに、自身を構成するマンガ作品を5つ選んで挙げているひとが多かった。そういう流行りのタグがあったのだな。5作品の選出は難しいかな、と思ったけれど「面白かった・他人に薦めたい」ではなく、「自分が」影響を受けたと考えを切り替えると、読んで影響された年齢順にわりとすんなり出てきた。

・9〜13歳にかけて:藤子・F・不二雄による一連のSF短編
・14歳:手塚治虫『アドルフに告ぐ』
・16歳:上條淳士『Sex』
・17歳:楳図かずお『わたしは真悟』
・19歳:望月峯太郎『お茶の間』

こういうのを選ぶと、やはりミドルティーンからハイティーンの時期になってしまう。なんだか面白いなと感じたのは、それぞれ「藤子・F・不二雄:『ドラえもん』でも可」「手塚治虫:『アトム今昔物語』でも可」「上條淳士:『To-y』でも可」「楳図かずお『イアラ』でも可』「望月峯太郎:『バイクメ〜ン』でも可」といった具合に、同作者での、もうひと作品も浮かぶところ。強く影響を受ける時って、(特に確証はないのだけれど)同じ作者の2作品がワンセットでやってくるものなのではないかな。ワンアンドオンリーの傑作よりも、次に読んだふたつめにも衝撃があって「やっぱり凄いぞ」と作家に信頼を寄せ、そこでようやく心の中で何かが騒めき・動き始める。過去に自分が形成・更新される実感を得たときはそういうものだった。

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