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思考-認識-動作をリンクさせる〈2024年6月マガジン〉

〈2024年6月4日 火曜〉
 子のプラモをつくる。いや、子がプラモをつくる手伝いをする。プラモ自体は日曜日に買ったもので、その日に子は作りたがったが外出をし疲れていたので「こんどつくろう」と言っていた。だが翌月曜日も私はバタバタバタバタしていて「説明書だけ先に読んどき、明日の火曜には必ずつくろう」と約束をした。この日もひどく疲れていて、しかも子の帰宅時間が遅い曜日だったので、風呂に入るまでの時間が残り少ない。だいたいのところを書くと、学校へ子を迎えにゆき、子が鉛筆を削ったりハンカチやランチマットやマスクを交換──これを〈ランドセル用意〉と呼んでいて一年生の二学期から自分でやらせるようにした──しているあいだに私は連絡帳に目を通し保護者印をしプリントを取り出し記入が必要なものは記入をし明日持っていかなければいけないものがあれば子にそれを確認する。それが終われば子の宿題。国語の教科書音読と新たに登場した漢字二つほどの練習と算数ドリルが1〜2ページ。そのあとは契約しているタブレット学習。その後に入浴と晩めしだ。

 風呂の時間まであと1時間。「ぜんぶは作れないで」「うん」「やれるところまでや」「わかった」と認識の齟齬がないかを確かめてからプラモの箱を開け、説明書を出す。「今日は右腕と、いいとこ左腕まであたりやろうな」と言うと、子は「頭とボディと上半身はいけるやろ」と言う。ニッパーを初めてきっちり使わせる。私が子の年齢の頃は爪切りを使っていたなと、ふと思う。私の母はニッパーという工具の存在も名称もいまだに知らないのではなかろうか。

 これまでのプラモデル制作は、子が説明書を読み「次はAの23番とDの4番」と私に伝え、私がパーツをランナーから切り出し、子に渡し、子が説明書を見ながら組む、その繰り返しだった。

 自身でプラモデルのランナーからニッパーでパーツを切り出すということは、〈失敗したら後戻りはできない〉〈構造と形状を把握して「判断」する〉〈そこにはリカバーできるモノもあるしできないコトもある〉と、一連の思考の流れが組み込まれている。そして、ニッパーを手にして慎重にランナーからパーツを切り出すたびに「フーッ」と緊張を吐き出す子の様子を見ながら、《これはもちろん技術ではあるけれど、あるけれど、技術だけで手だけでやらせちゃあかんやつやな、あくまで「思考」として、物の見方──「認識」の訓練であり、思考-認識-動作をリンクさせるモノなのだ、ホビー以外に意味をもたせ教育の一環として考えるならば》と私は感じる。現実と少し違うのは、認識と思考が逆なことだ。それはプラモデルの場合は説明書とパーツが先に見えているからだ。説明書とパーツの全貌が見えない現実の場合は〈認識-思考-動作〉の順番が多いだろう。

 考え過ぎ? バカ言っちゃいけないよ、ここはあくまで家の中のテーブルの上だ。想定外の出来事が起きにくいし他者もいない。外に出たら、もっと激しく思考が巡り認識が拡大し次の動作予測が無限大に増える。子がまだ未就学児だった頃、公園で遊んでいる様子を見ている時は、この数十倍も私の脳のニューロンはスパークしていた。二三四歳児たちが五六七人ほど駆け出し昇り降りし地面を弄りおもちゃの取り合いをして水道の水を出している動作のひとつひとつすべてをひとりで危険・トラブル・興奮度など把握していた私はまるで「めぐりあい宇宙編」冒頭でコンスコン機動艦隊の戦闘兵器リック・ドム12機と宇宙戦艦チベを3分で撃破するホワイトベース隊のクルーであった。フレクサトーンが「ピュウゥイインッ!」と鳴り、額から稲妻が出ていた。刻(とき)が見える……。


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