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チューリップを植える

鶏肉の手羽の肉を骨から一部分だけ剥がし持って食べれるようにしたから揚げ、チューリップ。自分は十数年前に大阪へと越してきてすぐくらいの頃、当時住んでいたまちの王将で見かけて初めて食べた。もう大人だった。

うまいなこれはと感じたが、普通のから揚げよりも少し割高だな、と注文することはそれほど多くなかった。

子はチューリップが好きだ。手羽元でつくるのも手羽先で皮を巻きつけてつくるのも好きだ。塩胡椒でも、から揚げ用粉でつくったのも好きだ。つまり子は、子供の頃からチューリップが好き「だった」ということだ。私が大人になってから初めて体験したことを子供の頃から知っているということだ。そういうモノがもっと増えてほしい、と願う。

夏休み前に持って帰って来たアサガオの鉢。夏休みの終わり頃には枯れて種をとった。その鉢はまた学校に持ってゆくのだという。今度はチューリップを植えるのだそうだ。私は子供時代にアサガオもチューリップも自分の鉢に植えたことはない。そういう出来事がもっと増えてほしい、と感じる。これから彼が体験すること、必ずしもいい出来事ばかりじゃないだろうけれど、悪い出来事ばかりでもないだろう。子に降りかかってくる悪い出来事はぜんぶ私の頭の上に降ればいいのにと思わなくもないけれど、少し悪い出来事は、傘をささなくてもええやろこれくらい濡れたって平気やろという雨くらいの出来事ならうたれたほうがいいと感じるときもある。いつか、こんなもん濡れたって平気やと思えるように。酷い雨が降りそうなときはあらかじめ雨具を持って出られるように。

子の前歯が少し前からグラついていて、先週のクリーニングのときは「もう少ししたら抜けそうなので予約をいれときましょう。再来週あたりでどうですか」という歯科衛生士の助言だったが、週末になったらそのグラついてる歯が痛むと子は言いだす。カロナールを飲ませる。

なので今日、朝イチで予約をして、学校のあと急遽抜きに行った。グラついてすぐにでも抜けそうだったのは上の前歯だったが、歯科医によれば同じく揺れている下の歯も二本抜いておいたほうがよいとの診断だった。だが子は「そんなの聞いてない!心の準備ができてへん!」と下の歯を抜くのを固辞したのだ。私は「(「事前に聞いてないというただそれだけの理由でその場での判断ができなくなる大人もいるなあ)」と頭の隅で考えながらも「下の歯もすぐグラグラしてくるからいま抜いたほうが楽やで?」と説得するが、子は頑として「抜くのは上の歯だけにする」と言う。私は「(合理的な考えかたをもう少し身につけて欲しいけどなあ、こればっかりはなあ)」と思いつつも、「ほな、次に歯医者に来る前に痛くなったら知らんで。二回抜きに来るより、怖いのは今日の一回で済ませたほうがええんちゃうの。そこは自分の判断で決めんさい」と告げる。子は抜くのは上の前歯一本だけと決めた。その判断は尊重した。いつか、酷い雨が降りそうなときはあらかじめ雨具を持って出られるように。

子が学校で植えるチューリップの球根は何色の花が咲くのか自分で選べるのだろうか。選べたほうが喜ぶ気もするし、選べなかったほうがいいような気もする。

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