〈2024年3月04日 月曜〉汚れた過去

〈2024年3月04日 月曜〉
 自分のiPhoneで使わなきゃいけない機能があったがOSのソフトウェアアップデートをせな使えない。「まだ急な連絡を学校とせないかん事態はこない時間やろ、いまのうちにやっとこか」とバックアップ…‥の前に使ってるとストレージを圧迫するアプリ消しとこ……とKindle(これの勝手に増えるデータがバカにならん)とX(これもアプリ上で消せるキャッシュ以外に溜まってくデータが大きい)を登録パスワードを確認した後いったんアプリごと削除。


 で、バックアップ→ソフトウェアアップデートかけてもろもろアプリを確認してたらXにログインできなくて2要素認証もできへん。ま、ええわと一応サポートに「ログインできなくなったので2要素認証を解除して」と連絡しとく。Xのタイムラインはともかく、XのDMでしか連絡とれないひとがおるのでそこが困る。

 細野不二彦『バブル・ザムライ』第一話「RYDEENのサムライ」より。主人公は晴れの日でも英国製「ブリッグ社」の傘を持ち歩く仕込み杖使いのアルバイト探偵。杖術だ。ホームズだ。

細野不二彦『バブル・ザムライ』(小学館/2024)第1話


 私が夢中になって読んでいた『恋とゲバルト』は第一部〈完〉で終わってしまったけれど、第二部はあるのかな。すごく好みだったからあるといいな。細野不二彦さんは自伝的作品『1978年のまんが虫』、70年安保闘争を舞台にした『恋とゲバルト』、そして85年プラザ合意から始まる80年代の狂騒『バブル・ザムライ』(2ページ目からして「EXPO'85つくば万博」の幕が垂れ下がる銀座SONYビルが出てくる)と、自身が知っている時代の空気、雰囲気、その頃を知っている者から見えた、立場の強い者や弱い者をなんらかのかたちで描き残そうとしているように思えてならない。

 子の映画はAmazonプライムビデオで『2112年 ドラえもん誕生』('95)。「ドラえもんズって公式から抹消された黒歴史なんやで」とYouTubeの〈考察〉動画で知ったことをしきりに言う。私が「それYouTubeで知ったんやろ、実際には観てないやんか」と何度も言ったことがあるので、得た知識の元がYouTubeだったとき隠すようになった。〈考察〉動画は放っておくとシレッと嫌韓や嫌中が混ざってて嫌な気持ちになることがある。

 子が(子が子がと何度も書くとわかりにくいのでもう仮名を設定する、〈M〉にする〉──Mが「チョン」だとか「グエン」だとか「ナマポ」だとかどこぞで覚えてきて三回以上使ったらどうすりゃええんやろって、保育園の頃に感じたことがあった。Nintendo Switchと iPhoneとドラゴンボールのフィギュアとメザスタのタグを捨てりゃええんやろか。

 ある日、保育園から帰宅するとMが「園の同じクラスのAちゃんの口が魚の匂いがして臭い」と言い出して、私は本気で怒ったのだ。言われてる方の子が園でもおとなしいほうの子だから尚更に。でもそれは言い出しっぺの子がいて、それが他の園児にも伝わって、「言ってもいいこと」になっているようだった。言い出しっぺの保護者に伝えるべきか悩んだ。言い出しっぺの子の保護者は自身の子が園でそういうことを言い出しっぺになれる「立場」にいることをたぶん知らない。はたから見ても目立って周囲をグイグイ引っ張ってゆく活発なタイプの子であった。

 保護者が子供同士のそういう微妙な関係性に立ち入るべきか否か。その頃の自分は積極的に介入すべきだと考えていて、それがあたりまえになるべきだと感じていた。

 ここで〈いた〉と、過去形なのは「介入すべき」と今となっては断言できぬ諸々をこの一年で目にしたからではある。しかし「こどもたちにはこどもたちの世界があるんだから」と決めつけてしまうのは強者の論理やと思う。私は小中学生の頃にかけて何年もクラスメイトを「バイキン」と呼ぶイジメに参加してた過去がある。あれは大人の強権的な介入とアフターケアがないとどうにもならかった。我々子供達にも理屈じみたものはあった、しかしそれは認知の歪みとでも呼ぶべき屁理屈だった──

──いま、小学校のある先生の名前をよく間違えて呼んでしまう。ヤマヨリ先生(仮名)をなぜだかヤマヨシ先生(仮)といった具合に呼んでしまう。ある日、その先生の名前は、私があの頃にバイキンと呼んでいた子の名前だったことに気がついて膝から崩れ落ちそうになった。その子の名前を忘れていたわけではない、むしろ他の同級生よりもハッキリと覚えている。その子がよく着ていた服の色も覚えているし家も覚えている。仲良く一緒に遊んでいたあの子やあの子たちの中には下の名前も遊びに行った家の場所も覚えていない子もいるというのに。子供だった私は、ヤマヨリ菌と何度も口にしていた。意識下に押し込めて封じていた過去だった。「ヤマヨリが触ったからもうそのモップ使えないわ!」などと言っていた。むしろそんなことをハッキリ明確に口にだして言えたことに誇らしげだった。ヤマヨリさんのお母さんは学校に乗り込んでくるようなタイプではなかった。ヤマヨリさんは住んでいたまちから少し離れた高校へ静かに進学した。もはや汚名をそそぐことも名誉を挽回することも罪を償うこともできぬ私の汚れた過去だ。私は勉強はわりあいにできたし体育も好きで友人も多かったが、その実、汚い卑怯な野郎。「子供と暮らすことで過去の罪の重さに気がついた」? これが物語の中なら、それはクソッタレ野郎のセリフだろう。


 最近ピリ辛を好んできたMの晩めしは明太子スパ。レトルトにベーコンをドバッといれているそのあいだにもヤマヨリさんの名前が薄っすらと頭によぎる。


 有料マガジンに課金してくださっている方にはすみません。マガジン用に書いていたはずが、この日記は書き終えたあと、どうしても文章の途中に有料部分のラインを引けなかった。

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