勉強がんばりや〈2024年7月マガジン〉

 私はその日、数年来随分と悩まされてる免疫系症状の定期検査だった。病院で採血をし検査を待ち、検査結果がでた後に診察と薬の処方と、時間がかかるので朝早くに出なくてはいけなくて、ランドセルを背負い歩く子の横で自転車を押し集団登校の集合場所までゆき、集団登校が出発した直後すぐ自転車を漕ぎ出した。

 いま住んでいる場所からさほど離れていないところに、子が小学校に上がる前年まで住んでいたまちがある。そこを走り抜ける。この辺りには子の小学校の友人や保育園の元同級生たちも多い。歩いて行ける距離だし、土日祝に集まって遊び場にしているいくつかの公園は、いまでもほぼ共通の場所だ。同じ区で最寄駅も同じだが町名は変わった程度の距離感だ。
 早朝の登校時間帯にそのまちを通り抜けるのはひさしぶりだった。普段であれば集団登校の列と一緒に校門まで見送り、子が校内に入ったのを確かめ帰宅中の時刻だ。小学校へ登校する児童たちが歩いてゆくのが見える。《引っ越してなかったらこっちの小学校の列にいたんやな》と私は思う。違う選択をした世界を想う。

 MAちゃんがいた。本来であればSさんか。小学校では〈ちゃん〉づけはしない。みな苗字でAAさん、ABさん、と呼び合う。放課後の公園でタローとかジローとか呼び捨てでも、学校内では鈴木さんとか田中さんと呼ぶ。なので集団登校集合場所や迎えにいった際の校門や校内では、私も児童たちのルールに従う。しかしMAちゃんとは卒園してから会っていないので私の中ではMAちゃんのままだ。MAちゃんは母親が通勤するのと同じタイミングで家の前に出てきたところで、そこに私が自転車で通りがかった。MAちゃんの母に会釈すると、向こうもこちらに気がつく。卒園後、丸一年と数ヶ月が経ち、そのあいだにまちの中で会うこともなかったので、てっきりこちらの顔など忘れてしまっていたかと思ったら、「◯くんパパー!」と、あの頃に保育園帰りで近くの公園で遊んでいたときと同じようにMAちゃんは言った。MAちゃんの母はこれから出勤だし私は病院の予約時刻が迫っている、短い時間。子がMAちゃんと同級生だった世界もこの次元宇宙とは少し違う並行世界のどこかにあるのだろう。そちらの世界での子は、いまより楽しいのかそれともそうではないのかという想いが瞬時に頭を掠める。
 私は「MAちゃん小学校おもろいか」と訊く。「めっちゃおもろいで」とMAちゃんは答える。私は「勉強がんばりや、いってらっしゃい!」と言ってその場を立ち去る。そして、自転車を漕ぎながら少し苦笑する。私が子供の頃も、近所の面識のある大人や親戚に会ったときに、「勉強がんばりな」と毎度の様に言われたのを急に思い出したのだ。《他に大事なことは、話したいことは、報告するしたいことは、たくさんあるのに、どうしてみんなまるでそれが挨拶かのように、揃いも揃って判で押したように「勉強がんばりな」と言うんだろう》と感じたことを思い出したのだ。

 いまでは、それがなぜなのかよくわかる。別に勉強を頑張って欲しいわけではない──いや、なくはない、勉強はできないよりはできたほうがいいかもしれないけれど、そうではなくて、他にかける共通言語がパッと浮かばないのだ。いま夢中なテレビやマンガの話をしても仕方がないし、する気もないし、現在の相手の環境がわかっているわけでもないし、子の友人知人であって私の友人ではない。ただ、だけど、とにかくエールとして「勉強(や他のいろんなことや苦しいこと大変なこと楽しいこと好きなこと嫌いなこと面白いこと面倒くさいこと)がんばりや、きみらはまだまだこれからたくさんの可能性がある、宇宙は分岐している。因果的決定論や宿命論に惑わされるな」と、それだけを伝えたいのだ。それだけを。

 背中越しにMAちゃんの「いってらっしゃいー!」と叫ぶ声が聴こえる。私も「いってきます!いってらっしゃい!」と叫ぶ。新しい宇宙へ!と心のなかで叫ぶ。

〈了〉

〈2024年7月マガジン〉の記事です。なので予告なく有料範囲を定めます。購入された際の価格で7月マガジンが読めます。7/31までに更新した記事ではなく、わたしが〈2024年7月マガジン〉に収録した記事です。


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