ファミチキ

「からあげクンレッドもうまいけどファミチキめっちゃうまいな」。

 週末だった。前日夜に病院の診察券で土曜午前中診察の受付時間を確認しておき、副鼻腔炎が長引いていた子のかかりつけ耳鼻咽喉科クリニックへ診察時間の朝一で飛び込んだ。私が子供時代の土曜は午前中だけ授業があった。いまは小学校も週休二日となり平日に行かせる時間の余裕がない保護者と患者たちで土曜午前の小児科耳鼻科歯科は混雑するが、あの時代の土曜はどうだったのだろう。

 診察を済ませ薬を院内処方され、そのあとは子の本を探しに新刊書店と古書店に行った。子は新刊で二冊、古書で五冊の本を手に入れた。帰宅途中にファミリーマートに寄りファミチキを買う。子の分だけ買うつもりだったが、他にコンビニで買うものもなかったのと店員が品出しで忙しいところをレジへ呼びつけたのもあり、これひとつだけ買うのもなと私の分も買い一緒にかぶりついた。ファミチキは2000年代後半から販売された商品なので固有名詞は普遍的ではないが、ファミチキ的ななにか・・・ を誰かと一緒に並んで食べる、そんな行為はいつの時代もあるだろうから、それをファミチキと呼んでみる。子はこれから出会う友人とファミチキを何度、共にするのだろうか。

 子の小学校の友人が家へ遊びに来てNintendo Switchプレイ中に「スイミングの帰りになー、必ずファミチキ食べるんやけど、ファミチキな、めっちゃおいしいで」と何気なく口にしたのは先週の出来事だった。大阪にはファミリーマートが多いはずだが、子と私の日常生活の道のりにはローソンとセブンイレブンが多かったのもあり、子はこれまで〈からあげくん〉や〈ナナチキ〉は食べたことがあるが、別に禁じていたわけでもなく〈ファミチキ〉は未経験だった。友人に「ファミチキ食べたことある?」と訊かれた子はテレビのゲーム画面から目を外さないまま「ないで」とあっさりした反応で答えた。

 そして今朝、耳鼻咽喉科へ出かけるとき急に「あんなー、今日のお昼、できたらファミチキ食べたいねん」と言った。子の友人が先週に発した「スイミングの帰りになー、必ずファミチキ食べるんやけど、ファミチキな、めっちゃおいしいで」。私にとっては、プールで泳ぐ習い事は〈水泳〉〈プール〉だったのが今はほとんどの保護者も児童も〈スイミング〉と呼ぶようになったなと感じていた言葉だが、あれから一週間あまり、子の頭の一部をファミチキが占めていたのだ。冒頭の言葉はファミチキにかぶりついた子がひと口めに発した感想だ。「からあげクンレッドもうまいけどファミチキめっちゃうまいな」。

 ファミチキを食べ終えた二人はスーパーに寄る。イートインスペース増設の流行からだいぶん遅れてつくられ完成したのがコロナ禍の直前でほとんど使われぬままずっと封鎖されていた軽食スペースがいまはもう使えるようになっている。そこに子を座らせて「そのままさっき買ったカービィ読んでてな、あと、買い物終わってここに来るまでそっから動かんといてな」と子がページを捲る星のカービィ小説の未読部分の厚みを確認しつつ伝えた私はカゴをカートに入れ店内を周る。買わなくてはいけない量もジャンルも多かったのでひとりで商品棚を周ることができるのは助かる。そこは以前に住んでいた家の近くのスーパーだった。

 買い物カゴをいっぱいにし使い古したIKEAのブルーのビニールバッグをカートに引っかけスーパーのレジに並んでいた。いまレジ前で会計しているひとがいて、私の前に二人待っており、私がいて、私のうしろに二人待っていた。レジ前の通路は空けて待ち、通路をひとが横切れるようにするのが暗黙の了解である。その空けられた通路横からサッと少年が走ってきてレジ台に何かを出した。列のあいだに二人挟んでいた私は反応が遅れた。レジの店員は仕方なく順番を飛ばして少年のレジを通す。見知った顔の少年だった。髪型は変わっているがカンタだ、とわかった──

 その少年カンタは子の保育園時代の同級生だった。保育園帰りの公園で「遊ばんとすぐ帰るで!ええ加減にし!」と叱られながらも保護者の自転車後部からタッと飛び降り子が遊んでいる近くまで駆けてきてブランコを二三度だけ漕いで「◯くんバイバイ!」とそれだけを言いに来て自転車まで戻ってゆきそして案の定怒られるのをカンタは何度も繰り返した。この文章を書いている今から二年ほど前にいきなりドアチャイムが鳴って遊びに来たことがあった。その頃は同じ団地の違う階に住んでいて子もカンタもまだ保育園児だった。インターフォンにでると「◯いる?カンタですけどー」と子の名前を呼ぶ子供の声がしてドアを開けたら八歳の姉と五歳のカンタと三歳の弟が一緒だった。私は「なんやカンタ遊びに来たんか」と言った。「遊びに来ること家のひと知っとるのか」と問うと、姉のアイナが「いま寝てる」と答えた。カンタと姉アイナと弟ツナの三人はよく団地の前で遊んでいて、暗くなってくると団地の上のほうから「アイナー!カンター!もう帰ってきー!」と保護者の声に呼ばれていた。

 ドアの前で待っていた三人を家に入れる。今日はさっきまで団地前にいたけど◯くんの家に行こうって思ったとカンタは言う。六時まで外で遊んできていいと言われてるのだと言う。一月の暖かい日だった。十四時を少し過ぎたばかりで陽射しは眩しかったが一月にしては暖かいという気温だった。たしかに以前「こんどウチに遊びにきぃー?◯階の◯号室やで」と言ったことがあった。表札を出していないのによくわかったなあと訊くと「隣りと隣りのいえもピンポン鳴らして間違えたわ」と照れ笑いをした。何して遊ぶかー?と私は訊く。適当にそこらに転がっているオモチャを皆それぞれ手にする。しばらく遊んでいる途中で、三歳の弟ツナがオムツ内に大便をしたのに私は気がついた。八歳の姉アイナが「家でツナのオムツ替えてくるわ」と言った。ここで替えさせてやりたいが子がオムツを履かなくなってから時間が経って在庫はとうになかったし余っていたのがあってもサイズが合わないだろう。私は「アイナ?きみツナのオムツ替えれるんか、履き替えだけじゃなくてオシリ拭かなあかんのやで」と訊くとカンタの姉アイナは誇らしげに「替えれる、いつもやってるから」と答えた。

 何度か家や保育園の前で挨拶を交わし面識のある保護者へ此処に子供たちが来ていることを伝えておいたほうがよいだろうと判断し、子とカンタはオモチャに夢中だったので部屋で遊ばせたまま「勝手に外に出ちゃあかんで」と伝え、カンタやアイナやツナの住む家の前までついてゆくことにした。八歳のアイナが三歳の弟ツナの手を引いてそのままエレベーターに乗る。アイナは慣れた足取りでエレベーターに乗り込み、慣れた手つきでエレベーターのボタンを押すが三歳児がドアに指を挟まぬか私は緊張した。私はその頃、子をひとりでエレベーターに乗せたことがなかったのだ。違う階にエレベーターは到着し、階数表示が違うだけの同じ構造だがエレベーターホールに置かれた三輪車やキックボードや外から射す光の具合が少し変わるだけで見慣れぬ光景になるのだなと私は感じた。エレベーターでなく階段を使って昇り降りはしたことがあるが、お互いに家を行き来する友人が住んでいるわけでもないので違う階に降りたのは初めてだった。

 エレベーターホールから通路を抜けて、着いた家のドアに鍵はかかっていなかった。アイナが弟と家に入ってゆくと開け放れたままの玄関から見えた家の中はカーテンが閉められていて薄暗かったが、カーテンの色は明るいオレンジで部屋の中は暗がりというよりむしろ黄昏時のようだった。ドアから中へ半歩踏み出し幾度か「すみません、ごめんください」と家の中へ声をかけたが返事はなかった。寝ているなら起こすのは悪いなと感じ、それ以上の声をかけるのはそこでやめた。ほとんど同じ間取りとは思えぬほど我が家よりずっときれいに整えられていて、我が家にはないファンシー調の飾りつけがいくつもあった。私は急に、形状や装飾に機能性があるわけではないが空間を和らげる効果があるもののことを自分がファンシーと定義しているのだなと感じた。IKEAらしきデザインの、木でできたボードに木のブロックでBeautiful Lifeと書かれていた。フィッシャープライス製のトーキングフィギュアとバッテリ駆動の児童乗用メルセデスが整然と置かれていた。夕焼けの奥からアイナがひとりで玄関に走り出てきて「ツナはそのまま寝るって」と言い靴に足のつま先だけ押しこんでエレベーターホールへ向かおうとする。私は「アイナ、鍵かけんでええの、鍵持ってないんか」と声をかけながら玄関を見回すと玄関ドアの脇には鍵をぶら下げておくプレートがあってトヨタとスズキのスマートキーのマークが見えたが家の鍵はわからない。「鍵は別にええねん、前に持って出たら落として怒られた。あとこの靴履くのめんどくさいねん」とアイナはブーツのジッパーを引き上げながら言う。「オッチャンみたいにサンダルのほうが履くのは楽やけどカッコええやんかその靴は」と私は言った。

──スーパーのレジを通したカンタはコロナ禍以降に整備された自動会計機の前にいた。支払いはWAONカードで済ませていた。ちょうどレジの順番列が私の番に差し掛かった頃、カンタがうろたえているのがわかった。ひとりで買い物をしていた少年が幼児の顔に戻って周囲を見回している。すぐに理解した。カンタは指先でWAONカードを挟み両手でポケモンカレーを三つ抱えていた。姉と自分と弟の分だと直感した。私は自分の買い物がレジを通されているのを待ちながら、カンタに向かって大きな声ではっきりした口調を意識して言った。「カンタ、ビニール袋なら、いまおれが一緒に買ったるからちょっとそこで待っとれ」。少しの間のあと「──◯くんのお父さん」とカンタは安堵の声色で言った。

 スーパーのレジ脇に下げられたビニール袋は三円のと五円のがあってどちらにするかほんの少し迷った。迷ったが五円のを買って家に戻ったら怒られるかと考え三円のを選びレジ係の店員に「袋だけ先にレジに通してもらえますか」と伝えてからカンタに渡す。実際のところ二円高価になっても大きい五円の袋のほうが使い勝手が良い場合があるがそれは考えないことにした。三円のビニール袋を渡しながら強めの・・・口調で言った。「カンタ、横入りすな」。

 さきほどのレジの列で私の後ろのひとが独り言と文句の中間くらいの大きさの、店員や周囲に聞こえるか聞こえないか曖昧な口調で、カンタの横入りについて何か言いたげな態度を放っているのを私は振り向かないまま感じとっていた。だから、後ろに並んでいたひとたちに「(さっきの横入りは私が言いましたから/この件は/これで/おしまい)」と強調するため「カンタ、横入りすな」と言って、軋んで固まって澱んでいた空気を掻き払った。

 買い物をサッカー台でIKEAのビニールバッグに詰めながら横にいるカンタと今度は普通の・・・ 声で話す。「もう一度いうけどなあ、カンタ、列の横入りはすなよ。ええか、なんか困ったことがあったらいまみたいに周りの大人で知ってるひとを探すんや。店員さんでもええ。だけどな、横入りはすな。そういうことをすると誰も助けてくれなくなる」。彼はうなずいた。そしてポケモンカレーが三つ入ったビニール袋をぶら下げ駆け出していった。店の中では走るなと今から叫んでも聞こえないだろう。昼めしどきを少し過ぎたいまごろ家では、姉が湯を沸かしているか白ごはんを電子レンジでチンして待っている。弟はきっとポケモンカレーに入っているシールを待っている。

 軽食コーナーで本を読みながら待つ子のところへ戻った。「さっきな、カンタいたで」「カンタって?」「前に家に遊びにきたやんか、同じ保育園の子」「ああ、いたなー」と子は本から目を上げずに答えた。あの日はツナがウンチしちゃったから先に家に帰したあと、みんなでタイコとギターとキーボードで音楽で遊んだやんか、めっちゃ楽しくて嬉しくて動画も今でも残してる、アイナはビニールレザーのライダースジャケット風ジャンパーでオモチャのギターを下げて、カンタは小学校に上がるときに黒くして短く切ってしまったけれどあの頃は肩まである茶色の髪がクリクリにパーマがかかっててタイコを叩いて、きみは似合っていたけれどもうサイズが小さくなっていまは捨ててしまったマーヴェルキャラのズボンを履いてアンパンマンのキーボードからリズム音と効果音を出しながら笛を吹いて、みんなで好きに音を出してまるでバンドみたいで格好いいなと思ったやんか。でも、もう違う小学校やねんな。

 なあカンタ、いまもう、同じ団地じゃないしまちの名前も違う少し離れたとこにオッチャンは住んでるからあんまり力になれないかも知らん。今日スーパーで会ったのもたまたま通りがかっただけや。でもきみがもう少し大きくなってもオッチャンの顔は忘れんでほしいと願っている。でも忘れてもあたりまえやとも思っている。前に家に遊びに来たあとでもう一回来たときあったやろ、あんとき「今日は歯医者があるからダメやねんごめんな」と断って以来きみはこなくなったけれどあのときは本当に歯医者の予定が入っててあかんかっただけで本当はもっと遊びに来てもよかったんやで。でな、「小学校が違う」というのは、ひととひとの距離をずいぶんと遠くしてしまうし、いつかもう五年生とか中学生とかになったカンタはオッチャンのいる星とはまるで違う星に住んでいる。火星とシリウスくらい離れている。大人と子供は見えてる世界も居てる場所もまったく違う。保育園の頃はな、カンタもオッチャンも、そこが重なりあってた曖昧な星の住人だった。

 同じまちでもいろんな交わらない世界が同時に存在しているし、目に入ってても見えないことも多いし、聴こえていてもわからない声も至るところにある。そのときはきみもオッチャンもまちに疲れているかもしらん。まちにはいろんなことがあるからな、たとえばチャージしてあるから落とさぬよう大事に持っておかなきゃいけないWAONカードと待ってるひとがいるポケモンカレーで両手がふさがってるけどビニール袋を買い忘れてどうしたらいいかわからないとかな、そういうことが続いたり重なったりするとなんだかひどく疲れてしまう、でももしそのときファミマが近くにあったらファミチキをカンタの分も買ってやるわ、どこか居心地のいいベンチで一緒に並んで食おう。だけどその頃にはきみはもうオッチャンに買ってもらって一緒に食わなくても自分で買って他の誰かと食べたほうが楽しいんだと思う。どうしてこんなことを言うのか、これはきみに説明が難しいけれど、きみに力を貸したいだとか同情だとかでは一切ない。そこは勘違いすなよ、このまちで私が ・・生きてゆくために必要なことなんだ。なぜならファミチキはめっちゃうまいからな。

〈了〉

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