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いったいどの時点からが冷やし中華なのか

冷やし中華は好きなのだけれど、好きなわりにはあまり食べなくて、外食時に選ぶことはほとんどないように思う。店によってどんな具がのっているのか、果たしてどんな汁なのかという不確定要素が多いからだというのが理由としてひとつある。ひと昔前は店頭サンプルとまるで違う皿が出てくることもザラだった。ナポリタンスパゲティやチャーハン、焼きそば、ちゃんぽんなどと比べても、サンプルやメニュー写真とのズレが多かったメニューなのではなかろうか。私自身は冷やし中華のスタイルに、たとえば「ハム、きゅうり、トマト、錦糸卵、そうそうこうでなくちゃいけねぇやな」といった拘りは特になく、ただ「アレっ思ってたのとちょっと違うな」と感じながら食べる時の違和が、ナポリタンスパゲティやチャーハン、焼きそば、ちゃんぽんなどよりも長く後を引きがちということだ。または、前述したのとは全く反対のことを言うようだけれどチェーン店でもないのにあまりに店頭サンプルそのまんまの姿で皿が出てきて戸惑ってしまうときもあって、その戸惑いも長く後を引く。

そしてもうひとつ。冷やし中華自体に釈然としない思いがあるから私は躊躇する。釈然としなさの正体は「いったいどの時点からが冷やし中華なのか?」ということ。具材や汁の多種多様な選択肢や様々な呼称やスタイルなどよりも、時制のほうが遥かに大きな問題だ。まずひと口目にのった具をつまんだところから冷やし中華なのか、それとも麺をすすったときなのか、具と麺を合わせて口に運んだところからこそが冷やし中華なのか。冷やし中華の上にのったトマトや焼豚を食べたとき、それは冷やし中華を食べているのではなく、トマトや焼豚を食べているのではないか。うまいうまいと食べながらも、カメラは回り続けるが本番のカチンコが聞こえないかのような、喉に刺さった小骨のようにずっとその疑問がついてまわってきた。はたしてどこからが冷やし中華を食べているといえるのか。

そして、今夜、遅まきながらようやく解答にたどり着いた。皿の縁に添えた和ガラシを汁に「しまった、溶きすぎた、」という瞬間以降が、冷やし中華が冷やし中華としてこの世に現出している時間だ。それ以前はThe dish we will be calling Hiya-chu、これから冷やし中華と呼ばれる料理だ。えっ、和ガラシを添えないって? ならばその皿は量子的に観測前の存在なので冷やしシュレディンガーの猫とでも呼んでくれよな。


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