『日本沈没』テレビドラマ版(74〜75年)第二十話「沈みゆく北海道」

『日本沈没』は74年テレビドラマ版の第二十話「沈みゆく北海道」(脚本:長坂秀佳/監督:金谷稔)が好きだ。

福島が熊本が鹿児島が京都が壊滅し函館が渡島半島が海に沈み、迫り来る崩壊の予感はあれど何を成すべきかわからない人々。札幌市など石狩平野にも避難命令が出て当然雪まつりも中止。しかし大通り公園ではひとりで「日本」という文字の雪像をつくる男(草薙幸二郎)がいた。「避難命令が出ているのを知らないのか!」と怒る主人公・小野寺(村野武範)の言葉に男は耳を貸さない。

「俺はむかし二等兵で殺したくもないひとを殺してきたよ、中国大陸でな。お国のために願いますって言われてな。弟は神風で死んだ、おぃ若ぇのおめぇ特攻隊って知ってっか、まだ十七だよ。五人の兄貴と親父もみんな戦争で死んだ。お国のためだって言われてな!そのニッポンが沈んでたまるかい! 誰ァれも雪まつりやらねぇってんならオレがひとりでやってやらあ」

男は「電信柱にゃ燕ととまる〜てしゃば〜てしゃば(停車場)にゃ汽車とまる/みなと〜港にゃ船とまる/かわいいあの子にゃ目がとまる/とめてとまらぬ〜恋の道」と歌いながら雪を積む。険しい顔になり何も言えなくなった小野寺は黙ってスコップを握り雪を積むのを手伝い始める。その姿を見た男は「若ぇの」と呟き、ニッと少し笑う。小野寺も微笑む(ここでCM。痺れるぜ)

避難民をトラックの荷台に乗せ雪崩と崖崩れと橋の崩落と危険が迫る山道での決死の逃走は『恐怖の報酬』ばりのサスペンス。そしてついに雪景色の札幌市内は破壊される。時計台が大通り公園が地割れと津波に呑み込まれてゆく光景で高らかに鳴り響くのはビバルディ『四季』第一番「春」! なんたる選曲!

日本海の水が石狩川を逆流し迫る札幌のまち、揺れる札幌駅や赤れんが庁舎などといった点描の中にさりげなくワンカット「DISCOVER JAPAN 美しい日本と私」と観光用か何かの看板が挿入された直後、誰もいない大通り公園に完成した「日本」という文字の雪像の前で形容し難い顔で座る男の姿が映る。雪で真っ白な札幌のまちと大通り公園、大俯瞰の引きの画に小さく映る雪像と男はあっというまに黒い泥土に呑み込まれる。男の最期の表情は映らない。

現代のCGIに慣れると当時のアナログミニチュア特撮が、だとか、映画に比べるとテレビ番組は予算が、だとかそういうことじゃないんだよ。違うんだよ。「テレビ塔展望台から見た大通り公園」という絵葉書的な見慣れたアングルの景色、それが崩壊してゆく特撮カット──予算やスケジュールを考慮すると「この画、特撮でやるのは、めちゃめちゃ大変じゃないですか、やめませんか」という画だ。それを撮っているんだ。正直いうと現在の目どころか前年73年の映画版との比較でも「うーん……ちょっと映画と比べると」というカットもある。でもそういうことじゃないんだ。そのワンカットのクオリティだとか、ヴィジュアル・エフェクツへの予算のかけ方だとか、そういうことじゃないのだ。どれほど技術的に優れたヴィジュアル・エフェクツでも──それを愛でるという楽しみ方はあるにせよ──ドラマ上ではカットのひとつだ。そこに至るまでに数多くのカットが積まれているんだ。この第二十話「沈みゆく北海道」札幌市内中心部崩壊場面の編集は「カットを丹念に積んでゆく」というのはどういうことなのかが、その効果は果たしてなんなのかが、本当に本当によくわかる。

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