〈2023/07/11〉ハマチ記念日

ハマチの刺身を子がうまいうまいと食べたので7月11日はハマチ記念日。

これまで子が刺身も寿司も苦手だったのをなんとかしようと、私が幼年期に最も好きだった寿司ネタである甘エビとハマチを両方用意した。子は後者を気にいった。甘エビは事前にバットに並べて酒と塩と砂糖で徹底的に甲殻類特有の臭みをとり、ハマチはひと切れつまんで「うん、新鮮だし臭みもない」と確認してから食卓に並べる。ハマチは脂のりがいいが独特の風味のある養殖モノではなく天然モノを選んだ──この時期、天然モノのほうが安いのだ。そのかわり背身ではなく腹身を切り分ける。醤油にベチャベチャに浸しても文句はいわない。なお、食えなかったときのためにソーセージやハンバーグや肉団子はブルペンに入れておく。

子の皿には甘エビをのせ、横で食べる私の皿にはハマチをのせる。甘エビはマヨネーズも用意しておいたけど、醤油皿にしばらく漬けると食べられた。そして、「トットが食べてるそれなに?」と子が訊いてくる。待ってました、だ。これはハマチって魚なんやけどひと口食べてみる? うん食べる。「うまい」。じゃあ君の分も切ったるから待っててや。作戦通りである。ストーリーとプレゼンテーションが必要なのだ。

こういう仕込みをせずに、そのうちどっかで「ハマチが好き」だと雑に食わせた結果、不味いのにあたって食えなくなってしまうと苛々する。以前はブリの塩焼きが好きだった。これも半日かけて臭みを抜いてから調理していた。それがいつのまにか食えなくなっていた。カジキマグロのバターソテーもいつのまにか食えなくなっていた。

児童があまり好物ではない食べ物──それは例えば肉でも魚でも野菜でも米でもパンでもパスタでもシュールストレミングでもサルミアッキでもマーマイトでも──を「あなたは◯◯が苦手だからもっとがんばって食べて」と保護者が口にすることによって、児童が「自分は◯◯が苦手なのだ」と自身で自己を規定してしまうことはある。食わんかったら食わんかったでそのことは流す、何度も何度もしつこくそのことに触れない、のは重要な気がする。児童は、自分で自己の輪郭をかたちづくれるほどのバックボーンがまだないのだから、容易に他人の指摘で自己が揺らぐ。マンガの登場人物がニンジンとピーマンと椎茸が苦手だから自分もそうだ、と容易く思い込む。

得意や苦手は結果でしかないので、児童相手に事前に何度も何度も申し渡しをするようなものではない。それを念を押すのは保護者自身の「ための」エクスキューズや気持ちの持って行き場所でしかないだろう。公園で子供が走るたびに「おまえ、ほんま足が遅いよなぁ?」と毎回言う保護者がいたら、ヤバいやんか。でも食い物だと、なんかそれが許されてる雰囲気を感じる。

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