〈2024年1月25日 木曜〉初めて滑った滑り台

〈2024年1月25日 木曜〉
学校から帰宅した子を連れて予約していた定期通院へ。病院の帰りに、以前住んでいた家の近くの公園に自転車を停めてひと息つく。「ここ覚えてる?」と子に訊くと「覚えてる覚えてる」とは言うが自転車後部座席でスマフォの画面から目を離さない。「ここの小さい滑り台が◯くんが初めて滑った滑り台なんやで」と私は言う。「懐かしいなー」と子は答えるがスマフォの画面を見たままだ。

電撃ネットワークの南部虎弾さんが亡くなられたのだという。

2001年に日本のバンドのライブツアー同行撮影でオーストリアに二週間ほど行ったことがある。当時、そのバンドはオーストラリアでの反応が良く(豪にとっては)輸入盤が現地で話題になり、豪限定シングルをリリースするなど、「TOKYO SHOCK BOYSの再来」と言われていた。

オーストラリアでは日本のアーチストが話題になると、必ずといっていいほど「TOKYO SHOCK BOYS(電撃ネットワークの海外活動名称)の再来」と銘打たれるのだと現地のひとに教えてもらった。メルボルンやアデレードの大手レコードショップに行くと、黒澤明や小津安二郎の隣りにはTOKYO SHOCK BOYSのDVDがあたりまえのように並んでいた。

当時、2000年代初頭、日本の「すべてのジャンルの」アーチストで、オーストラリアでもっとも有名なグループが電撃ネットワークだったのだ。オーストラリアは歴史的にイギリスからの影響とアメリカからの影響、その二つがカルチャーでは圧倒的な強さがある。国内ローカルのカルチャーよりも強いほどだ。AC/DCやマッドマックスやバズ・ラーマンやジョージ・ミラーやアヴァランチーズやクロコダイル・ダンディーは特別なのだ。豪・英・米、それらカルチャーのあいだで電撃ネットワークは眩い光を放っていたのだ。

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