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「この名残惜しさは良いものだ」という感覚

子はつい先週始まった新しいテレビ番組『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』を楽しみにしているが、トリガーのオメンはどこで手に入れようか。

私の家は旅行をあまりしなかった。でもなにか法事とかそういう用事なのか珍しく娯楽なのかで泊まったいくつかのホテルや旅館の浴場や廊下やロビーなどディテールや雰囲気や匂いの断片的な記憶は残っていて、行ったことがあるはずの土地にある宿泊施設が閉館するニュースを目にすると、子供の頃に泊まったのがその施設だったのか記憶を掘り出そうとしてみる。だがweb検索をして出てきた館内写真を目をこらして見てもその施設だったかの確証が掴めない。検索のあとには微かな哀しさが残る。平凡なフライの白球がグローブに入らなかったかのような。

以下はちょうど1年前の2020年7月16日に書いた文章。まさか1年経っても、地域の夏祭りや盆踊りすらやれるかどうか未定のまま東京オリンピック・パラリンピックだけは開催しようとするとは思わなかった。この1年以上、いつ攻守交代するのかわからぬまま空のグローブを手にしグラウンドに突っ立った子たちがいる。打球は飛んでこないし、そもそもいま誰がマウンドで白球を握っているのか、バッターボックスには誰が立っているのかすらわからぬまま日差しはジリジリと身を焦がし空気は揺らめいている。スリーアウトチェンジの声はまだ聞こえない。

【2020年7月16日】
そこいらじゅうで夏祭り・盆踊りが中止だ。子連れで行くイベントとして至上のもので、あれほど自身の子供時代の影を幻視しながら歩く夜はない。松田優作の「お祭りのうた」という曲が好きだ。フェイスガード代わりに全員オメン着用でなんとかならぬものか。酒飲んでとぐろ巻いて喋り続ける行為は禁止で。

オメンは、お祭りの屋台で買おうとすると800円とかして、おっいい値段するなあと思う。値段だけなら、大阪では松屋町の玩具問屋街へ行けば少し古いヒーローのも含めてお買い得なオメンがたくさん売っている。150〜300円ほどで手に入る。しかし、空が薄暗くなってきたなかライトの灯りで照らされた屋台に並んだ中からどれにするかを選んでその場で顔につけて誇らしげに歩く体験との差額としては妥当だろうと感じるので、ねだられれば買ってしまう。

「子供の盆踊り」の時間が終わり、流れる曲調が一変し、自分達は帰る時間だがそこに残る大人たちは沢山いて、まだまだ続く宴の気配が遠くからもわかる、あの良さはなんだろな。自分たちの世界以外の別世界があることの良さ。子供の頃から「この名残惜しさは良いものだ」という感覚があった。

先日、真っ昼間にいきなり「わかった、寂寥感というものは『退廃を拒否する態度』のことなのだ、退廃に浸らぬための反抗・反発なのだ」と急に思い浮かんだ瞬間があるのだけれど(シラフです)、それにも近い何か。むかし山本直樹さんが宮崎駿の作風を「アンチ退廃」と評したことがあって、そんな感じ。

子供の頃、夏祭りや盆踊りで「まだ帰りたくない」と泣いた記憶がない。いや、幼児期はあっただろうが、物心ついた頃からは、その場にいたくないわけではないが、いまだに音が鳴り続き灯りもつき大勢のひとも残って笑いあっている場所から立ち去ることの良さが、なんだか好きだったのだ。

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