放送大学 グローバル経済史('18) メモ3.銀と大航海時代

西欧と新大陸が初めてグローバル経済に加わったころの銀の入口と出口の話。

シラバス

放送大学 授業科目案内 グローバル経済史('18)
https://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H30/kyouyou/C/syakai/1639609.html
グローバル経済史(’18)

3 銀と大航海時代

15世紀にコロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマらの航海により旧大陸と新大陸が経済的に接続され、史上初めてグローバル経済が実現した。新大陸から旧大陸へはタバコ、トウモロコシ、ジャガイモなどがもたらされ、旧大陸から新大陸へは牛などの家畜がもたらされ、双方の社会に大きな変化を起こした。一方で新から旧へは梅毒、旧大陸から新大陸へは天然痘など伝染病が持ち込まれ多くの死者を出し、特にアメリカ先住民の人口は大きく減少したと考えられる。
取引された主要な香辛料は胡椒、ナツメグ、クローブなどであり、後ろ2つはマルク(モルッカ)諸島でのみ産出したのでポルトガル、後にオランダが厳重に支配していた。シナモンはスリランカ産で肉料理、コーヒー、お菓子に用いた。
「大航海時代」という名称は日本独自につけられたもので、欧米では「発見の時代」「探検の時代」などと呼ばれることに注意。後者はヨーロッパ側からの視点であり新大陸、旧大陸などの名称も同様。日本ではさらに14世紀-を含めて「大交易時代」という呼び方も提唱されている。
石見銀山では博多商人の神谷寿貞が朝鮮半島より鉛を用いた精錬方法を導入したことにより高品質の銀の量産に成功した。メキシコのサカテカス銀山、ボリビアのポトシ銀山はスペイン人により1540年代に開発され、その過酷な環境のために鉱山労働を担った先住民から多くの死者を出した。これらの銀はアメリカ-ヨーロッパ、アメリカ-フィリピン、ヨーロッパ-アジア、日本-アジアなどの貿易で使われ最終的にはインドや中国に集積した。多量の銀は世界経済を促進した。
14世紀には鄭和の遠征など、すでに海域アジアでは中国人商人、ムスリム商人、倭寇らによるアジア間貿易(Inter-Asian trade)が活発化しており、ポルトガルはこれに新規参入した形となる。当初は香辛料が目的であったが後に軍事力を伴って拠点獲得、カトリックの布教などが行われた。ゴア、マカオなどでは現地人女性との間に混血が進みポルトガルの影響を受けた人々の社会が形成された。タイのアユタヤでは日本人街(c.f. 山田長政)、中国人街、ペルシア人街などの外国人居留地ができていた。ポルトガル人による教会跡も発見されている。
参考文献
リオリエント、フランク

感想

アユタヤは行ったことがあるんですがポルトガルの教会があったのは知りませんでしたねー。コロンブスが到達したのは「発見」ではないということで「コロンブス交換」という用語を使うようです。またヨーロッパ人たちが参入する前からアジア内での海路による貿易が発展していたというのがこの番組で何度も強調されるところ。その裏で新大陸は、、、。

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