放送大学 グローバル経済史('18) メモ6. 世界商品の登場

茶、コーヒー、砂糖、タバコの普及

シラバス

放送大学 授業科目案内 グローバル経済史('18)
https://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H30/kyouyou/C/syakai/1639609.html
グローバル経済史(’18)

6 世界商品の登場

長期の18世紀を17世紀後半ー19世紀前半とする。研究が19世紀に偏っていたことの反省である。
この時代に産業革命だけでなく、農業の生産が世界的に拡大した。農業形態には:1.資本主義型農業では地主(地代)、経営者·資本家(利潤)、労働者(賃金)の3社からなり、イギリスの囲い込みが起きた農地が典型的である。プランテーションは輸出商品のための資本主義型農業といえる。2.小農型は土地所有権ないし耕作権を持つ小規模な家族により経営、耕作される。メンバーの努力が成果に反映されやすい一方、増え続ける人口を支えるためには常に新規開拓を必要とした。実際この期間に世界各地で農業生産が増加している。またインフラ整備には共同体の力が必要である。

アメリカ大陸では農業の大部分がプランテーションであった。当初は沿岸部の拠点都市から開拓され、のちに内陸部が開拓された。主要作物は当初は砂糖、後にタバコ、綿花などで、地主、資本はヨーロッパ人、消費地はヨーロッパでほぼすべて輸出用である。現地労働力が不足していたためほとんどの労働者はアフリカから連れてこられた奴隷であり、19世紀に奴隷制が廃止されたのちも年季契約労働者として厳しい労働が続いた。ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスが参入した。

アジアではプランテーションと小農が混在していた。現在もアブラヤシやパイナップルのプランテーションが盛ん。インドネシアでの砂糖きび栽培はオランダ東インド会社拠点のバタビア(現ジャカルタ)近郊で始まり、地主はヨーロッパ人、経営者は中国系の有力商人、労働者は中国系移民やアジア各国から来た奴隷、繁忙期には地元住民も雇用された。輸出先はヨーロッパ、インド、イラン、日本などである。

この時代の世界商品としては砂糖のほか、コーヒー、茶がある。砂糖は16世紀まではヨーロッパ人には奢侈品だったが上記の流通の拡大により庶民にも買えるものとなった。コーヒーは元来アラビア半島で独占的に栽培されていたがジャワ島に持ち出され、オランダ東インド会社が現地首長層から一定価格で買い上げていた。後に南米でのプランテーションが行われるようになった。コーヒーは西ヨーロッパで普及し主に男性に好まれコーヒーハウスのような社交の場で飲まれた。茶は大部分が中国福建産で政府管理のもと広東貿易で輸出されていた(日本産の輸出量は少なかった)。このころは紅茶が存在せず中国茶であった。1823年にアッサム地方で自生の茶ノ木が発見され、南アジアでプランテーションが始まる。コーヒーに比べ茶はより刺激が少なく、女性を含む広い層に好まれた。これら嗜好品の普及もこの時代の世界商品の特徴である。

世界商品は交通の発達により出現し、その価格は世界市場に影響され、世界中で消費文化を変えていった。消費者はもはや商品の産地を気にすることなく利用できる。一方でヤシ砂糖やはちみつなど地域ごとの代替商品も継続して用いられており、経済のグローバル化が進むからと言って容易に置き換えられるものではないことには注意が必要。

感想

にゃるほろ。農家の経営形態で2パターンに分けられるけど、何で日本で資本主義型(プランテーション型)が現れなかったのかは不思議なところですね。初期のグローバル商品が生活必需品でなく嗜好品だったというのは興味深いです。グローバル化 ≠ 均一化というのはこの先生が繰り返しおっしゃっているメッセージです。


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