放送大学 グローバル経済史('18) メモ8 グローバル経済の緊密化

移動と通信の手段の革新の19世紀。心躍るぜ。

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放送大学 授業科目案内 グローバル経済史('18)
https://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H30/kyouyou/C/syakai/1639609.html
グローバル経済史(’18)

8 グローバル経済の緊密化

大航海時代のヨーロッパ諸国によるアジア、アフリカ植民地は海岸沿いの拠点都市の周辺に限られ点の支配であった。18世紀にはオランダ(南アフリカ、ジャワ)やイギリス(ベンガル)などで地域王権の打倒や保護国化により領域支配を目指すようになった。19世紀にはアメリカ、ポルトガル、スペイン、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、日本なども加わり分割が進む。この時代に自由貿易論(先進工業国の製品は安く優れているので売れないとするとその地域の古い習慣や体制のためであり打倒すべき)やそれに対する帝国主義論(宗主国と植民地の関係への批判)が出た。工業国と植民地は食糧、原材料の供給と工業製品の市場という2つの関係で結びついていた。

蒸気船が実用化された。これにより貿易風や季節風に依存する必要がなくなり、時期を問わず大量に輸送が可能になった。これに伴い港湾も形を変え、埠頭、石炭供給、灯台などが整備された。1907の石炭価格によればイギリス産石炭は世界各地で販売されたが本国価格の1-3倍程度であり、また現地産の石炭も同様の価格レンジであった。1869スエズ運河、1914パナマ運河が開通する。

電信は1830年代にモールス符号が発明されると、51ドーヴァー海峡、66大西洋、71上海ー長崎間等に海底ケーブルが設置され、大陸を超えて情報が共有されるようになった。経済活動は世界の市況を意識し単一商品単一価格に近づいていった。

鉄道は1830にマンチェスターーリバプール間で最初に本格的に実用化され、主に内陸と港の間の貨物輸送を担った。アジア・アフリカでも重要で、インドやインドネシアでは日本より先に鉄道が開通している。鉄道建設はヨーロッパ資本で建設され、工事に必要な土木技術などが現地に移転されていった。

世界経済の一体化が進むにつれて制度の標準化が必要となった。市民革命期イギリス、フランス、1873日本では地租改正により初めて土地の所有権が国家によって保障されるようになり、納税義務と土地を担保とした融資が可能になった。これにより税収は安定した半面、借金返済に失敗した農家が小作になるという問題もあった。同様の制度改革は朝鮮や台湾でも植民地化されるや否や実施されている。また度量衡においては18世紀末世界標準を狙ってフランスでメートル法が制定され、当初は広まらなかったが19世紀をかけて徐々に採用が増えた。一方で英米圏のポンド・ヤード法、アジア圏の担(ピコル)・斤(=0.01担=600g)などのローカルな単位系も依然として流通していることには注意。

感想

担当講師の先生に若干の鉄分を感じる。

鉄道敷設は植民地支配と密接なのでインドやインドネシアのほうが日本より先なんだそうで意外でした。1871年には上海ー長崎の電信ケーブルが開通していたとは知りませんでした。明治維新からあっという間に情報化の波にのまれていたのですね・・・。

この流れは現在でも続いているけれど、個人的にはLCCのようなビジネスモデルの変革も人の流れと経済の流れに結構影響するんではないかと思います。

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