愛されるよりも、愛したい。マジで。
ふと思い出した懐かしい名曲。KinKi Kidsの「愛されるより愛したい」
1997年リリースらしいから当時は小学1年生。なぜかこの曲は聴いていた記憶が残ってる。
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いつだったか、「愛されたい派」か「愛したい派」か、という議論をしたことがあった。経営していたカフェで、お客さんと30分以上激論をした覚えがある。
僕は圧倒的に「愛したい派」なんだけど、その議論相手から言われた一言が、今も忘れられない。
「愛したい」と思える人は、そもそも愛されてきた人なんだろうね。わかりやすく言えば、家族に愛されていなかった人は「愛されたい」って感情が先に出てくる気がする。
これこそ真理だなって。愛されているから、愛したいと思える。
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先日、とある人とのやり取りで「落ち込んでいた時期がある」という話になったときに、ふとこの言葉が頭に浮かび、KinKi Kidsの歌声が脳内に鳴り響いた。
というのも、基本的には「愛したい派」の僕ですら、人間不信に陥っている時期には「愛されたい欲求」が湯水のごとく湧き出てきてたんです。
信頼していた人の突然の手のひら返しや、カフェを閉めて店主の肩書きが無くなった瞬間にサーっと離れていく人たちに、ただただ失望し、「愛されてない感」を強く抱いてしまったからなんでしょう。
だから、やっぱり「愛されている人」でなければ「愛したい」とは思えないんだなと。
余談ですが、親子対談記事を書きたいと思った根源あるのも、人間不信な時期を経て「家族に愛されていた」と再確認するためだったのかもしれないなと、この記事を書きながら思いました。
>> 28歳になるので父親に本音を聞いてみた。【親子対談】|note
それでも・・・愛されるよりも、愛したい。マジで。
じゃあ今はどうなのか。
今はまた、しっかりと「愛したい派」に戻ってきています。愛されている感を抱けるセーフティネットをちゃんと持てると、やはり僕は「愛したい欲求」の方が優位になるようです。
もしかしたら特異体質なのかもしれないですが、安心できる環境さえあれば「愛したいと思える対象がある(いる)だけで幸せ」と感じるほど、愛されることよりも、愛したい欲求の方が強いんですよ。
逆に言えば、僕自身が幸せを感じながら生きていくためには「愛されていると感じるセーフティネット」をしっかりと整えておくことが必要とも言えます。
ここまでのことは、議論した当時に思えてなかったな〜と。歳を重ねれば重ねるほど、自分の生きやすさの基準がわかってくる。なんか、人生がどんどん楽しくなっている感触がありますね。
納期がブッキングして忙しさの極みにいるタイミングですが、そんなことを感じた2018年の師走でした。
明日も充実した1日になるといいですね。
では、またあした〜!
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