私が思う、「エモい」の正体

最近、「エモい」という言葉が話題みたいだ。

http://toyokeizai.net/articles/-/191015

http://marketing.itmedia.co.jp/mm/articles/1709/30/news013.html

「やばい」とか「卍」のように、感情の高まりを表現する言葉は定期的に流行するものだと思っているが、これらの記事を見ると、”モノからコトへ””ストーリー消費”など少し前からある文脈になぞらえて語られている様子。

かくいう私も「エモい」を消費される「エモクリエイター」の一人なのかもしれない。

本の帯にも「エモいインターネットの未来」って書いてある。エモい。

先日、#newspicksアカデミアで、それこそ「エモいとは何か?」というお話をした。そこで定義したわたしの「エモいとは何か」について、忘れないうちに文章にしておきたい。

私にとっての「エモい」の正体

私にとって「エモい」とは、"心の微振動の再発見”だと思っている。そして、「エモいクリエイティブ」とは”感情の表現についてディティールの詰まったモノ”だ。

例えば、”コンビニ”はエモくないけど、”夜中に恋人とアイスを買いに行くコンビニ”はエモい。”だらしない格好で、なんでもない道を、好きな人と一緒に歩いて向かうコンビニ”はもっとエモい。”七回目のベルで受話器をとった君”はギリギリエモくないけど、”受話器を持ちながら、ベルが鳴る回数を数えてるわたし”はエモい。

私は「エモい」と言われるモノを書こうと思う時、そんな”手触り感”を大事にしている。「ああ、知ってる、わかる」という共感と一緒に、そこにある温度感や、心拍数を伝えたい。

毎日が流れ行くのはとにかく速い。

コンビニに彼氏と行くという、幸せが日常の中にある幸せや、ベルの音を追いかけるほどに誰かを恋しく思う気持ちや、時には大事な気持ちさえ、上手に拾えないまま、毎日はすぎていく。

だけど、なんとなくそんなときも心はきっと微振動している。

だからこそ文字にして誰かから説明された時、「ああ、これ知ってる」となるのだと私は信じているし、そんな小さな微振動を発見できるお手伝いができたらいいなと思いながら文章を書いている。

たのしいエモ消費論

何かをつくるときにディティール感を大事にするのは、「エモクリエイティブ」をつくる時だけに必要なわけじゃない。

”ペルソナ”という言葉があるように、サービスなんかをつくるときも、その人自身やその人の感情や動機についてディティールまで探求した上で、一つ一つの機能を作り上げていく。

街中にある広告やCMも、思わず目が止まるのは”心の微振動の再発見”をさせてくれるものだ。

消費活動について”エモい”が重宝され始めているのは、大量にある消費活動の対象の中で、「心動かすもの」が差別化として認知され始めているからではないだろうか。私たちは、情報の海の中で「私のためのもの」を探しているが、「これ、私も知っている」というストーリーは、モノと人をぐっと近づけてくれる。

これからもしばらくは、20代中盤の彼らや彼女たちから「エモい」という言葉を聞いていられるような気がしている。あの頃の小さなきもちと再会しながら、再会してもらうことを夢見ながら。エモい消費時代を楽しんでいきたい。

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