記事一覧
佳人長命―祖母100歳のお祝い。
少し前の話になるが、一族で祖母の100歳のパーティをした。もっとも、音頭を取ったのは叔父であり、叔母であったわけで、祖母の半分の歳になっても相変わらず孫気質が抜けないのは容赦いただきたいところである。
およそひと月ほど前に声がかかり、それから叔父と叔母は、車椅子の移動に困らず、20名近い家族が一同に会して食事ができる場所を探してくれたらしい。我々孫世代に課せられたのは、それぞれの家族がスライドを
風のヒューイは弱いのか?-統率力と機動力の非凡なる才能-(再掲)
いろいろな場所で書き散らしたものを、あとから自分で探し出してきてまで読み直すということは、特にブログ文化の中ではほとんどしたことがないが、なぜか私が書いたブログ記事の中で、何年経ってもアクセスされ続けている記事がひとつだけある。どこに需要があったのか謎ではあるが、そもそも私が唐突にこの記事を書いたのも、あとから検索して辿りついてきてくださる読者と同じような疑問を抱いたからに他ならない。
そうやって
鮮度のピーク。(再掲)
この手の原稿は、年によって、時代によって、普遍性を失うことも少なくはない。あまり再掲を好まない身ではあるが、社会人として新たに旅立つ誰かへの餞の気持ちで、もう一度ここに「鮮度のピーク。」を投稿する。
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この季節になると、今年は異例の開花状況とはいえ、やはり桜が目につく。俵万智さんに倣
排尿礼賛。−おしっこを嗤うな
私は谷崎潤一郎先生を尊敬してやまないわけだが、杉の葉から湯気の立つ便器の醜さ美しさを大真面目に延々と綴る先生よろしく、一見どうでもよいようなことを、どうでもよくないからふと真面目に追求してみたりしてしまう。
「おしっこに行ってくる」。そう言い残して部屋を出るとき、人は些かの気恥ずかしさと、自虐を禁じ得ず、その場に居合わせた人にしても、それをお手洗いを借りるであるとか、トイレに行くと言えないものか
旅情奪回 第32回:春が迎える。
私は若い頃から梅が好きだ。漂う、としか表現し得ない、押し付けのない上品な香りと、まるで枯れ木に雪が咲いたような、まだ肌寒い季節にポツポツと花をつける白梅はとりわけかわいらしい。
桜は日本人の心であり原風景だ、というのはよくわかる。しかし、桜の木の下でお酒を片手に春を慶ぶというタイプではないし、花見を口実に騒ぐ趣味もない。
桜には日本人特有の繊細さと、猥雑な混沌が併存している。聖俗がともに棲む処で
旅情奪回 第30回:能登半島地震に寄せて。
例年になく穏やかで気怠くさえあったお正月気分も、文字通り眼の前で音を立てて崩れ去った。自宅が大きく、長く揺れたと思ったら、テレビの向こうで「津波が来ます。逃げてください」と、悲痛とさえ呼べる尋常ならざるトーンで緊急避難が連呼されていた。
テレビ画面の隅には、普段目にしたことのない真っ赤なアイコンが表示され、新しい年を迎えて間もない北陸の海が静かにその牙を隠していた。
石川県が、四季も美しく、伝統
R&B擬似プレイリスト公開。〜クリスマスに聴きたくなる“雑巾必須”のラブソング20選
この世界に足を踏み込んでたくさんのことを教えていただいた音楽ライター(と同時に当時は音楽誌の編集長でもあった)が、最近過去の執筆の掘り起こしをされていたので、なんとなくこの時期によく聴いていた曲をR&B限定でプレイリスト化してみたくなった。ミッドテンポやスローバラードが多くなってしまったし、どうせクリスマス前後で聴く曲なんて失恋ソングの方がグッと来る。そんな甘酸っぱい記憶に身悶えしながら珠玉の20
もっとみる50歳からは、アナザーラウンドでもうひと舞いを。
50歳になった。というわけで、それなりに「しっかりとおじさん」になったらすぐにしようと思って計画していたことがいくつかある。そのひとつは若い頃に気に入って買ったものの、自分の年齢じゃ身の丈に合わないと思って使っていなかった腕時計をつけ始めること。もう一つは、映画『アナザーラウンド』を観ること、である。長い目でみれば当然ほかにもいろいろと計画らしきものや指針はあるのだが、とにかく具体的で現実的、誕生
もっとみる旅情奪回 第29回:北鎌倉。−逍遥とオウムと
先日電話で、知人が鎌倉に遊びに行ったと話していた。鎌倉は、私にとっては少し不思議な場所である。
中学生だったか、学校の社会の授業かなにかで鎌倉に行った記憶がある。鎌倉の大仏を観たり、この階段で公暁が討たれたのかなどと、歴史マンガの一コマを検証するような気持ちで鶴岡八幡宮を参拝したりなどしたわけだが、どういうわけかその後、近くて遠い鎌倉は縁の薄い場所になってしまっていた。
「そうだ 京都、行こう
喪失と獲得。−もうすぐ、大きな誕生日
もうすぐ誕生日である。10月はハロウィン、12月はクリスマス、と大きなイベントが続くが、11月はイベントがない。どこに行っても、駆け足のように店頭のディスプレイが季節のイベントに切り替わるので、誕生日を飛ばされたような気分にもなるが、何もない11月こそ、静かに自分の生まれてきた意味を噛み締めて過ごそう、と思うようにしているのだ。
と書くとむくれてでもいるようであるが、今回は、いよいよ50代に突入
旅情奪回 第28回:時空の旅路に思い出す別れ。(後編)
(前編のつづき)
父方の祖母は春先に旅立った。残念なことだが、長兄と父が15歳違いであるから、私が日本に帰国した頃には、すでにかなりの高齢で、文字通り三歩下がって夫の影を踏まないような人だったので、実はほとんど思い出らしい思い出がない。食卓を共にすることはなかったし、なにか一緒に行事を楽しむこともなかった(正確には、一度だけ外食に行ったが、祖母は食事をしなかったのだ)。
家父長制の影のような生き
旅情奪回 第27回:時空の旅路に思い出す別れ。(前編)
なぜか秋冬に別れが多い。特に、家族との別れが多い。それは、単に気候のせいや、寒い時期だからということではなく、多分秋が、冬がそうさせるのだ。
かねがね、なぜ私が、あまり縁のない親戚に会いにいったときでさえ、両親以外の親族にもよく似ていると言われることが多いのか、小さい頃から不思議に思ってきた。もちろん先祖のことまでは分からないが、そうして「●●ちゃんは、▲▲に似てるねぇ」とあちらこちらでいわれれ