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完全参加と平等というけれど…

昨日のnoteに事業所で行った成人を祝う会のことを書きました。

noteを書きながら、私がまだ現場にいたころのことを思い出しました。

私が血気盛んだったころ

私は、障がいのある人が利用する事業所を経営をする社会福祉法人の理事長です。法人ができる前は、無認可の小規模作業所でした。思い出したのは、小規模作業所、私がまだ20代のころのことです。あのころの私は血気盛んで、いろいろなところでいろいろな人とぶつかっては文句を言っていました。

そのころの私は、利用者の受け入れを担当していました。養護学校高等部実習生の受け入れでは、実習生を直接担当するだけでなく、学校に行き、学校での様子を見したり、ご家族との窓口にもなりました。自分が受け入れをした利用者は、かかわりが多い分、人一倍、思い入れが強くなっていました。しばらくして、その利用者が成人を迎えました。

「完全参加と平等」

そのころ、市内の事業所が加盟する連絡会や、複数の関係団体が主催し、行政がバックアップをする「障害者成人のつどい」がありました。その案内には、成人式に参加できない障害者向けに成人のつどいを開催します、と書いてありました。私は、そこに違和感を持ちました。

そこからさかのぼること10年前、国連は、国際障害者年を指定し、「障害者に関する世界行動計画」を制定しました。そのときのテーマが「完全参加と平等」でした。

「障害者成人のつどい」が開催される1ヶ月前の12月、同じ連絡会が主催する、一般市民への啓発活動がありました。そこでは「完全参加と平等」を前面に打ち出したパレードがありました。そのパレードは、市内の障害者団体が集まって行進し、行きかう人たちにビラを渡すというものでした。そのパレードすら不思議なものでした。

パレードの規模は、はっきり覚えていません。しかし、かなりの人数が集まりました。そのため、町を行きかう人たちが、その規模に圧倒されて、離れて行くという不思議な状況でした。終わったあと、私の手には、配れなかったビラが残っていました。これが、町に参加していくことなのかと、疑問に思ったときでした。

その直後の「障害者成人のつどい」でした。開催することに異議はありません。ただし、支援団体がすることは、どうやったら普通に成人式に参加できるか、そのための方法を考え、はたらきかけることではないでしょうか。あのころの私は、むきになってそんなことを主張していました。

町に出よう!

私は、自分が担当した利用者二人と一緒に一般の成人式に参加しました。そのときの利用者は、今の支援区分でいえば「6」、一番支援が必要な状況の人たちです。じっと立っていることができなかったり、急に大きな声を出したり、大変なことがありました。しかし、成人式の会場ではトラブルがなくすごすことができました。また、入場ゲートやトイレに並んでいると、みんなが順番をゆずってくれました。もっともっと町に出て行かなくちゃいけない、そう思ったころでした。

あれから30年が経ちました。障がいのある人たちが私たち支援者と一緒に町に出ていくことが増えました。しかし、今の支援者を見ていると「完全参加と平等」とは、少しずれているのような気がします。そのずれを意識しながら活動しなくてはいけません。

また、残念ながらそのときの二人は、私より先に逝ってしまいました。


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