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個人面談は憂鬱だ…(これからは学習者検証の原則で考えませんか)

グルーープホームで生活をしている人の話です。日中活動事業所から個人面談の通知を受け取り、憂鬱になっています。この個人面談は、なにか問題なことがあって開催されるものではりません。定期的なものです。それでも「個人面談」と言われると憂鬱になります。

福祉サービスにおける個人面談

私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。法人の事業所にはグループホームと言い、障がいのある人が支援者と共同生活を送っている場所があります。そこで生活をしている人は、日中、働きに出たり、福祉サービスを利用したりしています。

福祉サービスも様々で、私の法人の事業所のように、生活支援を中心にしている事業所もあれば、就労に近い形態の事業所もあります。福祉サービスを使う場合、どこの事業所でも定期的に個人面談が開催されます。

個人面談はネガティブになる

私たちは、個人面談にあまり良いイメージを持っていません。思い出すのは、学校時代、夏休み前に担任の先生と行う面談です。親も呼ばれて、成績表を見ながら「もう少しここをがんばりなさい」と言われます。

また、会社に入ってからは、上司との個人面談があります。これも上から物を言われることが大半です。また、ここでは、できたできないで、評価をされます。緊張します。

このような個人面談の繰り返しで、私たちは、個人面に対してネガティブイメージを持っています。

福祉サービスをスポーツジムにたとえると

さて、福祉サービスの個人面談です。私は、福祉サービスを、スポーツジムにたとえて説明することがあります。スポーツジムは、インストラクターと一緒に自分の目標を決めることから始めます。そのうえでその目標に向かってトレーニングを続けます。また、定期的にインストラクターと面談をしてプログラムの効果を確認します。福祉サービスも同じです。

福祉サービスは、利用する本人が将来どうなりたいか、まずそこを支援者と一緒に明らかにします。支援者は、その人にふさわしいプログラムを考えて提案をします。そのうえで目標や希望の実現に向かって行動を起こします。支援者はそのお手伝いです。

「学習者検証の原則」で考えよう

私は、福祉サービスにおける個人面談では、支援者が評価されるべきものではないかと思うようになりました。それは、以前、インストラクショナルデザインを学んだとき「学習者検証の原則」というものを知ったときからです。向後千春先生の論文の一節を引用します。

「学習者検証の原則」とは、教え方が効果的であるかそうでないかは、学習者が実際に成果を上げたかどうかだけによって検証されるとしたものである。つまり、教授者側の「教えたつもり」や「熱意、努力」ではなく、学習者が学習目標を達成したかどうかに関心を持つということである。

「インストラクショナルデザインの観点を採用したアクティブラーニング」向後千春(2017)

これにならって考えると、福祉サービスは、そのサービスを受けた利用者の希望がかなったか、満足したか、そこが重要ということになります。

個人面談で評価されるのは支援者

しかし、実際の支援の現場では、支援者がプログラムを提供したかどうか、がんばったかどうかが評価されます。また、プログラムを提供したのに利用者の希望がかなえられないと、利用者本人の努力が足りないと指摘されることがあります。

利用者は、自分の希望の生活がある、しかし障がいがあり自分の力だけではその希望をかなえることができない、だから福祉サービスを使っています。福祉サービスを使っても成果があがらないのは、プログラムが本人にあってないと考えなければいけません。

しかし、そういう発想にいたらず「もっとがんばりなさい」と、個人面談で言われます。だから個人面談が近づくと利用者は憂鬱になります。

個人面談で評価されるのは私たち支援者、またそのプログラムです。また、個人面談は、利用者の皆さんにとってモチベーションが上がるような場にしていかなければいけない、そう思っています。

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