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たまにはスマホの電源を切ってみよう

昨日の夕方のことです。ほんの数時間、スマホの電源が落ちたままでした

携帯電話の普及により、いつどこにいても連絡が取れる便利な社会になりました。しかしそれは、24時間拘束されているということです。たまには、携帯電話の電源を落として生活してみるのも良いかもしれません

気づいたらバッテリーが赤表示

市域の会議に参加していました。ひさしぶりに電車に乗りました。その帰り道、ポシェットからスマホを出すとスマホが熱を持っていました。カメラアプリが起動したままでした。2時間以上、そのままだったようです。そのためスマホのバッテリーが赤くなり、残り5%を示していました

電車に乗ってから、途中でバッテリーがなくなったらどうなるのだろうかと不安になりました。改札口を通るのにはスマホのアプリが必要です。幸い、電車を降りて改札を通るまではバッテリーが残っていました。その後、会議中にかかってきた電話に折り返したあと、スマホのバッテリーがなくなりました。

公衆電話がない

昨日は、直帰する予定でいました。職場にも電話を入れようと思い、公衆電話を探しました。しかし、どこにも公衆電話が見当たりません。そのときは、ショッピングモールの中を歩いていました。公衆電話の場所を近くの店員に聞いてみてもすぐにわからず、社内電話で問い合わせてくれました。また、私は、やっと公衆電話を見つけて電話をかけようと思ったら、小銭が667円でした。

667円と言うことは、10円玉は1枚です。100円玉で電話をかける勇気がありません。10円で勝負に出ました。職場には、スマホの電源が落ちたことを伝えただけで電話が切れました。あっという間でした。昔は、10円で3分間、話ができました。

そのあと、たまにはスマホと自分を切り離して生活することも必要なのではないかと思いました

携帯電話への依存

最近は、携帯電話に対する依存度が高くなっています。ささいなことで、「これどうしたらいいですか?」と電話がかかってきます。人に聞くことはだいじです。しかし、その前に自分で考えるということもだいじです

私のスマホは、日中、着信音も鳴らなければ、ブルブル震えることもありません。私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。利用者や家族と話をしていることがほとんどです。そのときに携帯の着信があると相手が気を使います。また、会議中の妨げにもなります。さらに自分の仕事にも集中ができません。そのため私のスマホは、着信がわからないようになっています。そのかわり、合間合間で必ずスマホを確認します。また、スマホがなくても私の居場所は明らかです。緊急時は、私を探すことが可能です。

反対に、夜、家に帰るとスマホの音が鳴るように切り替えます。夜にかかって来る電話は、緊急度の高いことがよくあります

たまにはスマホの電源を切ってみよう

今の時代は、まったく携帯電話がつながらないと、他人に迷惑がかかり仕事に支障がでます。しかし、たまには宣言をして意図的にスマホの電源を落としてみるのも体にいいような気がします

家に帰ってから、スマホの電源が落ちたことを家族に話をしました。すると娘がひとこと言いました。「お父さん、モチジュウ持ってるよね?」。私のカバンにはモチジュウが入っていました。モチジュウとは持ち運びができる充電器のことです。

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