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狂言者の言葉

皆さんは自分の欲望をはっきりと言葉として全て人に口から伝えることができるだろうか。そう言える人は新鮮で惹かれるけど、よくよくみればただの変人だし悪く言ってしまえば相手の気持ちが理解出来ないサイコパスと一緒だ。だがそれが過激派のように扱われ多くの支持者が得たりしている。よくコメンテーターなどで的確な発言とは別に自分が正しいと思ったことをズバズバいうあの人種と一緒だ。ただこういう人種が本を出すとバカが集まる、それが売れて布教される。別にこれが悪いこととは言わないが僕が悪く言いたいのはこれにのっかるこのバカどもだ。彼らは狂言者の言葉を引用し、自分の中でカタルシスを感じているだけなのだ。僕もその一部なのかもしれないけれど、その多くの人間が発した言葉も元は一人の言葉であり、全てそこに帰着する。だが全ての点と点が繋がっているわけではないので、何も知らない第三者はそのバカどもが発した言葉のように感じられる。

何が言いたいかって、狂言者から生まれる他者のエゴイズムほど酷く汚いものはないということ。もっと完結言ってしまえば、全てを鵜呑みにすると言うこと。その発言にどのような意図があるのか、その人の生い立ち・環境が君らと全く同じなのか、そこからもっと人間は考えなければならないし考えることこそ人間の使命だと思う。使命はちょっと言いすぎた。うまく伝わらないかもしれないが、決して全てを自分から生み出せとかそういう問題じゃなくて、あくまで欲望の話である。

欲望と言えど、大金が欲しいとか、美男美女と付き合いたいとかではなくてみじかに感じれるのは相手にこう言って欲しかったと相手のそのまま直接伝えること。例えば友人に何かプレゼントしたとして、それを友人がただ、「ありがとう」と言って受け取ったとする。それを聞いた僕が「もっとセンスあるとかないの、それみてセンスの良さに尊敬されたかったんだけど」って言うみたいな。もはやこれは完全にエゴがプレゼントというものに具現化されただけの話である。

ただこんなに悪いように言ってしまったけど、僕は自分の欲望をそのまま口に出すことができることに非常に美しさを感じる。何だろう。多分その人が周りに合わせない分、普段とは違った刺激というものが溢れ出てるのかもしれない。凡人はいずれ呆れられ、次のものへと目移りされる、それがまさしく僕な気がして、そんな気しかしない。





今日も読んで頂きありがとうございます。すみません、今回の内容も前とかぶってる気がするし、絶対伝わってない気がしてきました。僕はこういう時に感覚という言葉に逃げる。だから今回も逃げる、感覚ですって。なんか今回もふと思いついたので書いてしまいました。今、東京について書いてはいるんですがうまく表現できないので、だいぶ先延ばしになりそうです。少し自分の中でも、どういう系統で行くというか、文章の表現も統一したいと思ってて試行錯誤中です。よろしくお願いします。

ps.小説→映画の順じゃないと、逆だと小説を読んでいる時に映画の映像と被ってしまい自分の中で物語が作れないので次からは絶対に小説→映画の順で見ようと思いました。映画→小説はやめようと今日、今ここで思いました。あ、あとnoteのおかげで本当に少しだけタイピングが慣れてきました。

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