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横取り

 ベトナム語版「カミングアウト・レターズ」完成は楽しみで仕方なかった。ベトナムの出版社から献本が届いたのが、母の命日。すぐ数軒の洋書店に追加注文したうちの5冊が某店に入荷されたのが、父の命日。そこまでは上出来だった。あとは店まで取りに行き受け取るだけ。店の前で店員さんと写真でも撮ってめでたしめでたし――そういう段取りだった。そんな段階で本が消えるなんて展開は少しも想定していなかった。呑気に亡き両親に手を合わせ「見守っていてくれてありがとう」なんて、言っちゃったりしてた。
 しかし無情にも店主は、「入荷したが3冊売れてしまった」と言う。
 
 バイトがリョージさんだと思って売っちゃったんです。だから2冊しか。
 
 そんなことが起こるものだろうかと、訝しんでみても起きたこと。店主はひたすら謝り、恐縮している。いわく、入荷してすぐに「ベトナム語を話せない日本人男性」が来た。そしてベトナム語に翻訳出版された「カミングアウト・レターズ」が3冊欲しい、と伝えた。店にいたのは日本語を話せないアルバイト。店員がその日本人男性をてっきり私だと思い込んでも無理はない――だってそんなニッチな本を何冊も欲しがる日本人なんて著者ぐらいなんだから。その客にしても掠め取ろうと考えたわけではなく、欲しい本があるか聞いたら店員が奥から出して来ただけのこと。
 
 でもなあ、それ俺の本だったんだよ。一ヶ月待ってたんだよ。親戚に送ろうと楽しみにしてたんだよ。もちろん東京の甥っ子が作った本が海外で翻訳されたからといって、地方暮らしの叔父叔母がベトナム語を読めるわけじゃない。「これあいつが送って来たけどよ、どうにもなあ。どうする?」と言い合うだけだ。それでも甥っ子の本が海を渡ったならそれなりに嬉しいものだろう。おばちゃん元気でいてな、これ御守りだよ。……そう言って渡そうと思っていたのだ。それなのに。
 
 「なんで俺だと思ったのよ。そいつ臭えおっさんだったのか?」
 「臭くないです」
 「じゃあ俺じゃねえよ」
 「ごめんなさい」
 「いい男だったのか、ええ? この質問への回答はよく考えてからね」
 「……いい男でした。リョージさんみたいに」
 「大正解。よって本件は不問とします、閉廷」
 ――という会話があったわけではない。もとより責める気なんてない。だって誰も悪くない。それは単にタイミングだったんだ。本なんてまた注文すればいいんだ。
 
 しかし件の客が気にかかる。謎の日本人。
 
 今年は秋がないに等しく、11月に入っても尚ワイシャツ一枚で過ごせていたのが、その週末になって急に冷え込んだ。あの寒風の中を出かけ、日本のゲイが作ってベトナム語に翻訳された本を求めて当てなく歩くほどの動機をもつ者はそう多くない。彼がベトナム語を話せないのは明らかで、ならば日本語教師でも入国者支援団体のスタッフでもない――私が手配しベトナムから届いたその本を、誰に渡すために横取りした?
 
 想像では、彼はゲイの弁護士だ。日本から何らかの事情で自国に送還されるゲイのベトナム人が3人、支援団体がゲイの弁護士に依頼する。弁護士は彼らとのラポール作りに、ベトナム語に翻訳されたばかりの「カミングアウト・レターズ」を差し入れようと考えた。安心させなだめなくてはならない。夢は消え、彼らは家族がいる/家族がいた国へ連れ戻されるのだから。
 ――うっかりしてしまったそんな空想が、胸を締め付ける。

 「その土地にいて幸福な者は故郷を出たりはしない」――どこかで読んだ言葉を思い出す。なあ、もう帰れる家なんてないって思ったんだろ、家族なんてゲイの自分にはいないって。よく分かるよ。慰めなんて言えない。でももしその本が親御さんたちの気持ちを癒してくれたら――そう祈ってるよ。日本から祈らせてくれ。
 
 帰り道、よく子ども時代に迷子になっていた池袋の東武デパートでユーハイムの「クランツ」を買った。母が買ってくれる「クランツ」が大好きだった。こればかりは、絶対に誰にも分けてやらない。薄く層を作るどこまでも優しいバタークリームとふんだんに振りかけられたきめ細やかなアーモンドシュガー。これに限っては一人占めしていいんだ。幸福だった家族の記憶だから。
 
 もうどこに帰ればいいか分かんねえよ。母さん、また迎えに来てよ。――あの時のように泣きたい。なぜ目を離したと全身に怒りをほとばしらせて、店内アナウンスに慌てて走って来る母の姿に向かって、泣きたい。……とまあ、そんな気持ちも思い出させるから。
 やっぱり「クランツ」は、一人で食べるのがいいみたいだ。

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