本堂はどこにある? ーホン・サンスとザハ・ハディドの空間

吉田健一の『時間』は奥の院だというふうに思いこんだとき、各地の奥の院で人が味わうもろもろの微妙に不思議な経験が、この一巻の言語空間の旅でも同じように待っているかもしれない、いやきっと待っているにちがいない
高橋英夫「奥の院としての『時間』」


ソウル在住の紀行作家チョン・ウンスクは「ホン・サンス映画の撮影地旅行にハズレなし」と前置きしたうえで、「14年の「自由が丘で」以降の作品は贅肉が削ぎ落とされているため、旅に駆り立てられる場面はそう多くない。」と言う。(a) たしかに「自由が丘で」(2014)の登場人物たちの生活する範囲は非常に限られており、舞台となった鍾路区(チョンノグ)に実在するカフェ「JIYUGAOKA 8丁目」やゲストハウス「ヒュアン」の周辺には、観光地や史跡が点在するにも関わらず、それらは劇中にはほとんど登場しない。頻出する路地でさえも旅情を忍ばせ映し出されているようには見えない。しかし本当に、ホン・サンスにとって都市は削がれるべき「贅肉」だったのだろうか。「自由が丘で」は決して都市を映していないわけではない。むしろ、この映画には都市そのものが畳み込まれている。そして、それどころか、もっと異様な事態がここでは起きている。『正しい日、間違えた日』(2015)以降に語られることとなる「虚実の裏返り」が監督個人や物語世界を超えて、実空間である都市にまで及び始めているのだ。

元恋人と会うため、韓国に滞在するモリが携行する吉田健一『時間』(1980)を、高橋英夫は「奥の院」に喩えた。(b) 高橋によれば「奥の院」的な『時間』の言語空間は「非到達性・不可能性」の体験を伴う「奇妙」で「心惹かれる」ものであり、「現在一元論」においてすべてを「現在」へと収斂させるものだ。たとえば、こんな一節。「従ってあるのは現在と現在でない状態だけであって普通は過去であることになっているものに我々がいればそれが現在であり、一般に現在と見られているものも我々にとってただの空白でありうる。」(c) 一般的に、奥の院とは寺社の本堂よりも奥にあり、本堂に比べより小さく、より神聖な建物である。王朝時代の宮殿に挟まれ、緩やかな山の手を背にしたまさに「奥」の街で撮影されただけでなく、どこにも辿り着かないモリのいくつもの断片が散らばった「自由が丘で」は都市の経験そのままを映し出す「奥の院」そのものである。(ⅰ,ⅱ) であれば、当然ひとつの疑問が浮かんでくるだろう。「本堂」はどこにあるのか?

ザハ・ハディドによる東大門デザインプラザ(DDP:Dongdaemun Design Plaza)は「自由が丘で」の撮影地からほど近くに建てられた巨大な複合施設である。「自由が丘で」と同じく2014年に完成したこのDDPは、曲率や穴の大きさがすべて異なる4万枚以上にも及ぶパンチングメタルによって構成されたパラメトリカルな曲面が特徴的な建築だ。「空間の流れ」をコンセプトに、滑らかにすぼまる「穴」を貫通するブリッヂが東西を結ぶことで、都市に行き交う人々の「ハブ」となることが企図されている。古い都市の壁や工事中に出土した遺跡をも包み込むように設計された「建築的ランドスケープ」だ。(d)

何を隠そう、このDDPこそが「自由が丘」=奥の院がつくりだした本堂である。そう言えるのは、なにも同年に世に出たからだけではない。この建築物の機能がコンベンションホールやミュージアム、立体駐車場など、基本的に「空っぽ」であるという本堂性もさることながら、DDPは(ホン・サンスが多用する)「ズーム」の建築に見えるからだ。佐々木敦によれば、ホン・サンスが多用するズームとは「カメラの運動性とカメラアイに切り取られている世界の手触りを含む時間」を伴わせる撮影手法である。そして佐々木はホン・サンスの作家性を、彼自身を「視線の主」とする「ユニバース(=世界)」が、ショットの束全体あるいはホン・サンス作品全体にまたがる差異と反復の「マルチバース」的広がりを持つものとして論じた。「ワンショットはそれぞれが一個の「ユニバース」である。彼はそれを、視ることによって生み出していく。そこでは同一性と多様性が、反復と差異が、どちらが表でどちらが裏ということではなく、ぴったりと重なっている。」(e) これをそのままDDPの評として積極的に誤読してみる。すると、カメラのズーミングの軌跡を滑らかにトレースすれば、DDPの「穴」によく似た形状がそのまま立ち上がることに思い当たる。DDPは、敷地の歴史だけでなく、そのフォルムからも「時間」を含み込んだ建築なのだ。こういうわけで、虚構空間としてのホン・サンス「自由が丘で」と現実空間であるザハ・ハディド「DDP」のあいだに無視できない近縁関係が見えてくる。では、DDPは何に向けてズームしているのか。そこに含み込まれる「時間」とはどのようなものか。

端的に、DDPの視線の主はザハである。ただしこの視線は、ここを訪れるおおぜいの利用者や観光客、あるいは王朝時代の人々や日本による植民地支配下にあった当地の人々のものも含まれる。このような膨大な視線を統合するのがザハなのだが、これらのまなざしの先にあるのは他でもなく「まなざされている」視線である。DDPの「穴」をくぐると、まるでズームアウトするかのように、徐々に広がる形状をしている。言い換えれば向こう側からの視線によってズームされているのだ。ゆえに、DDPはズームとズームが衝突する建築だと言える。そして、この「ズームの衝突」が中心を消失させることによって、「ハブ」たる面目躍如としての回遊は実現される。このように、中心としての本堂を否定する「本堂」であると言えるDDPは、奥の院を否定する奥の院である『時間』=「自由が丘で」と「視線」を通じて共鳴しあう。

ここにきて、「奥の院」と「本堂」は果たしてどちらが先に建てられたか、と問う意味はあまりないだろう。ありうるかもしれない無数の「現在」のなかに、ホン・サンス=ザハ・ハディドの虚実の裏返った空間はある。中編の「自由が丘で」が、巨大な建築空間と畳み込みあい得るのは{現在一元論=多元宇宙論(マルチバース)}によって一見小さく見える映画空間がスケールアウトしているからに他ならない。以上のような倒錯も許容し得る点においても、「自由が丘で」は異様な事態の予言的作品であると言える。

(2,627字)

【引用】
a.チョン・ウンスク「ホン・サンス「都市論」|その風景の力」『作家主義 ホン・サンス』(A PEOPLE CINEMA、2021)
b. 高橋英夫「解説 奥の院としての『時間』」吉田健一『時間』(講談社、1998)
c. 吉田健一『時間』「Ⅱ」(講談社、1998)
d.『GA DOCUMENT 129』(エーディーエー・エディタ・トーキョー、2014)
e. 佐々木敦『この映画を視ているのは誰か?』「反復と差異、或いはホン・サンスのマルチバース」(作品社、2019)

【注釈】
ⅰ.モリの時間がバラバラなままに展開する「自由が丘で」のセグメントは、クォンがモリからの手紙を読むカットによって12ブロックに分けられ、『時間』もまた(時計・暦的数字と言える)12章で構成されている。
ⅱ.佐々木敦によれば、「或る設定や物語や状況が反復されるが、そこに差異が持ち込まれる」(という手口)の、「トリッキーな構成が極まった」作品として『自由が丘で』を位置付けていることからも、ホン・サンス作品群のなかにある「奥の院」と言えなくはない。

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