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千住真理子さんデビュー45周年記念コンチェルトに行ってきた

非常事態宣言が発出されているなか、予約をキャンセルするかどうか悩んだ挙げ句、行ってきました。

結論から言うと、行って良かったです。

もともとはフランス映画 『家なき子 希望の歌声』を観た妻がどうしても行きたいと言うのでついていったのですが、演目を観てわたし自身も是が非でも聴きたくなりました。演目は次の通りです。

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲 K. 492 ※管弦楽のみ
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op. 64
* * *

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 35
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン Op. 20

妻の目的はもちろん、メンデルスゾーン。あの映画で猿のジョリクールが死んじゃうシーンでヴィタリスが奏でる曲です。

こちらも素晴らしかった。出だしのところで不覚にも涙が込み上げ、辺りが薄暗いのを良いことに思う存分泣いてしまいました。

しかし、圧巻はなんと言ってもチャイコフスキー。

この作品はわたし、大好きで、特に1988年のカラヤンとアンネ=ゾフィー・ムターの演奏は名盤だと思っていて、それこそ何十回、何百回と聴いている曲です。

出だし、あれ、ずいぶんゆっくりなテンポで始まるんだな、まぁ超絶技巧だしあまり速いと難しいのかな、と思ったのですが、第一楽章のAllegro moderato半ばから始まるソロあたりから怒濤の展開。

速い速い止まらない。あの細身からどうやって出しているのかというくらい迫力のある旋律が量感豊かに激しく、目まぐるしく展開します。

一音一音聴き逃すことができません。あの独特の緊張感が辺りを支配します。

チャイコフスキーのバイオリンコンチェルト Op.35は、ソリストをオーケストラが助けてくれません。ほとんど突き放すかのように、むしろ競い合うかのように、掛け合いと言うより駆け引きに近いやり取りが繰り返し繰り返し行われます。

ソリストとオーケストラの命を賭けたやりとり。

鋭利な刃の先端の攻防。

そして訪れる満ち潮のようなエンディング。

素晴らしかったです。千住さんもかなり気合いが入っていたんじゃないでしょうか。何度も喉元とバイオリンを拭う所作にそれが伺われました。

わたしはカラヤンが亡くなったとき、彼の指揮を生で観ることができていなかったことを心底後悔しました。同じ芸術でも絵画は後世に残る。でも演奏はその場限りの一瞬。

もちろん、音源は残されて後世の人々も聴くことはできます。しかし、その場の空気や香り、時間は再現してくれません。

今回コロナ禍のなか、賛否両論はあると思いますが、気持ち的には無理をしてこのコンサートに行って良かったです。本当に、久し振りに心が洗われました。まさに命の洗濯になりました。

コロナ禍で活躍の場を失っているのはスポーツのアスリートの方々だけではありません。演奏者、演技者、様々な形で芸術を糧としておられる方々も同様、あるいはそれ以上に困難な状況に陥っているのだと思います。

こういうときこそ、芸術を残していかなければならないんだと、強く、強く認識しました。そのためにわたしができることはなんだろう。きちんとルールを守る観客を前に、きちんと対策をしてくれている主催者の元で、彼らが活躍ができるよう、やはり聴く、観る、語ることしかできないのではないか。

そんな思いでこのテキストを書いております。

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