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小説はもう書けない(かな?

初めて小説を書きたいと思ったのは高校生の時でした。

当時のわたしは大藪春彦に傾倒していて、書いた小説もそのコピーのようなものでした。誰にも見せることはなかったけれど、一応最後まで書いた記憶があります。まだパソコンで執筆することなど思いもよらぬ時代だったので、原稿用紙に書いたのだと思います。

次に小説を書きたいと思ったのは、それからずいぶん経った2013年です。当時ハマっていたデモンズソウルというゲームに刺激を受けて、今でいうところの異世界ファンタジーものを津本陽の重厚さで書いてみたらどうなるだろうという訳の分からないモチベーションに突き動かされるように書き進めました。原稿用紙600枚を軽く越える量ですが、これも書き終えることが出来ました。

それを機に鈴木輝一郎先生の小説講座に入り、2017年までの間に7作書きました。どれも600枚越えの長編で、ジャンルは冒険小説でした。最初は書くのが面白くて3ヶ月に1作のペースで書いていました。

ところが、だんだん書くペースが落ちて行き、2021年に小説講座も退会してしまいました。

なぜ書かなくなってきたのか?

仕事が忙しくなったというのも確かにあるかも知れませんが、それはやはり言い訳のような気がします。小説を書かなくなると同時に並行してわたしに起きてきたことがあります。それは、人に対する興味を持てなくなった、将来に対する希望を持てなくなった、ということです。

別に人生に不満があるわけでも、世の中に絶望しているわけでもないのですが、人や未来に興味が持てないのです。日々を忙しく過ごしてそれなりに今を満足して過ごすだけで別に問題はない。そういう感じで時間をただ過ごしていく、そういう日々が続いています。

人に興味がないから本も読まなければ映画も観ない。将来に希望を持てないから仕事に必要なものを除いてそれ以上の勉強もしない。つまり、やれていないのは小説執筆だけではなく、食う寝る仕事する以外のことはほとんどやらないようになっているのです。そう言えば女性や性に関する興味も欲望もほとんどありません。

問題なのは現在もそれが続いているということです。昔のわたしなら『シン・ウルトラマン』は初日に観ただろうし、『トップ・ガン マーヴェリック』は10回以上観ていたに違いないのです。ところが、現在、全く観る気も映画館に行く気も出ない。

実は昨日から、わたしは仕事で長崎に出張しています。お客様を訪問し、ワークショップやってホテルで仕事して。その中でふと我に返ったのは、身体が無茶苦茶キツいということです。

体力だ。今のわたしに決定的に、絶対的に足りないのは、体力だと気付きました。体力の低下は10年前から続いていたと思いますが、この数年、特にコロナによる外出規制の期間を通して、すっかり体力がなくなっていたのではないかと考えています。確かに、生きることと仕事をすること以外の活動をしていないわたしでは、生きていくことと仕事をするだけで体力を使い果たしてしまい、それ以外のことに使う体力が枯渇してもおかしくありません。

体力を付けよう。もう一度身体を鍛え直そう。体力が戻ってくれば、人に対する興味も湧き、ひいては小説を書く元気も出てくるのではないか。そんなことを思い付いて、今まさに長崎空港でこの文書を書いているのでありました。

いや、マジで体力付けよう。まだまだやりたいことはあるはずだ。あるに違いない。人生にワクワクドキドキ感動を取り戻さなければ。

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