嫌われる勇気:第1夜 トラウマを否定せよと 鬼滅の刃

 なんやらわけのわからないタイトルになってしまったが、嫌われる勇気を読んでいる期間に、映画鬼滅の刃を見に行き、第1夜で通じる部分があったのでまとめてみた。

 まず、第1夜では、アドラー心理学では「トラウマ」を明確に否定してる。それは過去に起きたことを原因に今が不幸になっているもしくは、今を苦しんでいるという議論のことである。これが「原因論」という概念である。一方アドラーは、人間は過去の経験にどのような意味を与えるかによって自らを決定していると言っている。これが「目的論」の概念である。

  わからりやすい例でいうと、誰かの態度についてむかついたとき、怒りに任せて怒鳴ったとする。「原因論」で考えれば、それは誰かの態度が原因であると考えるが、「目的論」で考えると、大声を出すために怒鳴ったと考える。大声を出してその誰かを屈服させたいという目的があったと考える。

 「原因論」と「目的論」の違いは非常に難しい世界ではあるが、簡単に考えると、自分のこれまでの人生に何があったとしても、これからの人生をどう生きるかについては何の影響もないのを意識すればいいのかなと思う。

 第1夜を読んでいく中で、私の中で重要だと思ったフレーズは、

①怒りとは出し入れ可能な道具であり、目的を達成するための手段である ②答えとは、誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出していくべきもの
③大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである
④ライフスタイルはおよそ10歳の時に自分が選択したもの。でも変えることはできる
⑤「もし何々だったら」と可能性の中に生きているうちは変わることはできない
⑥今後の人生の選択において、これまでの人生はなんら関係はない

と、ここで、③と鬼滅の刃が大いにリンクするのである。

回想中の母

「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか」

「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」

「責任をもって果たさなければならない使命なのです」

「決して忘れることのなきように」

号泣! まさに、ノブレスオブリージュ

「与えられたもの(強さ)をどう使うのか」という気付きを、親が子供に気づかせ、煉獄さんが、それを使命として、まっとうしたのは、ノブレスオブリージュにつながるものがるかなと。

今の自分には何が与えられていて、何ができるのかをしっかりと考えていきたい。

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