ゲーム性とは?
結果に干渉できるけど予想外。それは矛盾しているようだけど、ゲーム性があるコンテンツにはそういう側面があると思う。
動物行動学だったかの実験で、ボタンを押すと餌が出る、みたいな報酬系で、高得点になるほど多くの報酬が得られる場合よりも、高得点でも報酬が少なくなる──みたいなランダム要素があったほうが熱中するというものがあった、気がする。(サルの実験だったか?)
生き物は──みたいに大きくまとめてよいのかはわからないけど──結果を知りたいんじゃないだろうか。
このように行動する、するとこのような結果になる。
この道を選ぶと食料が得られる、こちらを選ぶと死ぬ、みたいな。
状況を整理分類抽象化して、できるかぎり少ない選択で結果を確定する。
そうすることで素早く状況を再現(あるいは回避)できる。その能力が高いほど生存には有利だろうから。
そんなわけで行動と結果を素早く繰り返すようになる。
ここで結果が常に固定ならば、数回の試行で十分にその「状況」の情報が得られ、状況カタログに情報が書き込んで次の状況を(目新しさを求めて)探しにゆく。
しかし結果に揺らぎがあるなら、その揺らぎを発生させる「何か」を特定したくなるのではないか? 場合によっては「わかった!」という喜びが生まれるだろうし、あるいは「掴んだかも?」という興奮があったりもしそう。
(得られる結果がランダムに近づくほど、それは有意な情報をもたらさない状況だと判断して捨てるということもあるだろう)
わかりそう〜わかるかもしれない、というムズムズ感には、きっと脳内の報酬系が関係しているのだろう。(この強度は個体によって大きく違いがありそう)
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話が飛んでしまうけれど、強烈な飢餓感とか、長時間の運動だとかによる「極限状態」で作動する報酬系もあるだろう。
乗り越えないと「死んでしまう」ような状況では、身体のどこかに欠損を生じるにしても「動作する」ことが勝るから、痛みなどを無視して動けるようにならないと困る。ランナーズハイのような「多幸感」はここから生まれるのだろう。
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ランダム要素のない完全な規則にのっとって動くゲームでも、例えば弾幕系シューティングゲームで「無理!」とおもえるような敵弾をからくも回避しつづけるだとか、身体の応答・反射速度を磨くところに見出されるゲーム性もあるだろう。
この場合、ランダム性は自分の身体の応答性や心の動揺だとかにあるのだろう。制御できそうでできない部分というか。(楽器の演奏などにも通じるような)
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状況を再現するために必要な情報を集めること。これがゲーム性の一面を説明するのかもしれない。
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