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【自己紹介②】出会い、努力、環境。サッカー人生で一番濃かった高校時代


こんにちは、早瀬良平です!
はじめに言っておくと、僕は大学時代までは本気でプロサッカー選手を目指してプレーしていましたが、現在は高校生向けのサッカーチームでコーチの活動をしながら、「サッカー×教育」をテーマに、サッカーに携わる高校生との1on1コーチングや、その親御さんのサッカー教育にまつわるお悩み相談を行っています!

僕のプロフィール詳細は、こちらの記事をぜひチェックしてみてください!

さて、前回の記事からは僕がサッカー指導者になるまでの過程について紹介しております。今回は、僕の人生の中で最も濃かった…かもしれない、高校時代を紹介いたします!


◾️寮生活スタート。全くレベルが違う…圧倒される日常

高校から全寮制の生活が始まりました。一緒に生活する仲間は、全員同じ寮に住み、全員同じ学校へ通う。中学3年生の3学期から、高校入学に向けてこの寮生活を始めました。寮からの景色は、山、山、山…。広島の中心地で生まれ育った自分からすると、同じ広島県内とはいえカルチャーショックを受けたのも思い出に残っています。

三矢寮


中学時代は、サッカープレイヤーとして自分が住む街ではそれなりに有名でした。そんな実績を背負って扉を開いた高校サッカーですが、1年目はいつもBチームでした。最初の頃は、スキル面だけでなく先輩たちとは物理的に体格差もあったので、特に高校3年生にはびびっていたのを覚えています。


◾️チームで一番サッカーに向き合った3年間。成長のきっかけは「環境」

長いBチーム生活でしたが、高校2年生の春にAチームの練習試合に出場する機会を勝ち取ることができました。この与えられたチャンスをものにできたのは、高校時代でも指折りの「自信がついた経験」となりました。

高校3年決勝 サンフレY vs FC東京


当時のチームメイトに僕の印象を聞くと、「早瀬が一番サッカーへの意識が高かった」と言ってもらえることが多いです。正直、そうでした。Bチームで日の目を浴びなくても誰よりも努力する、サッカーと向き合うことは続けることができました。毎日欠かさずにサッカーノートを書いたり、身体のケアをしたり、サッカーを上達するための時間を過ごせたと思います。失敗や挫折、どんなに辛いことがあっても、この経験をどう活かしてサッカーを上達させるか…というポジティブ変換にできていたので、あまり失敗したという認識はありませんでした。

どうして努力を継続できたかと聞かれると、それは言うまでもなく「環境に恵まれたから」なんですよね。

尊敬できる監督やコーチ、そしてレベルの高い仲間たちがいる中で、この素晴らしい人たちから評価されたいという気持ちが、努力に向き合うことに繋がりました。特に高校1年生の後半からは、早く評価されたいという思いが日に日に芽生えていきました。

高校3年時 高円宮杯 決勝


◾️恩師ゴリさんとの出会い

僕のサッカー人生で欠かせないのが、高校時代に出会った恩師森山佳郎監督、通称ゴリさんの存在です。当時、僕が所属していたサンフレッチェ広島の監督でした。

ゴリさん


ゴリさんは、とにかく”熱い”指導者で、ピッチ上では鬼軍曹、ピッチの外ではユーモアに溢れた尊敬できる指導者でありながら、人として魅力的な方でした。

『やれることを全部やっているのか』
『好きなサッカーで努力できなかったら何もできない』

ゴリさんから言われた言葉は、プレイヤーだった自分を奮い立たせてくれました。今振り返ると素直だったなと思うのですが、とにかくゴリさんから評価をもらいたかった。ある意味、この素直さも成長できた理由かもしれません。

ゴリさんから受けた言葉は、自分が指導者の立場になった今も心に刻んでいます。僕にとってゴリさんは、まさに生きる教科書だと思っています。

優勝カップをもつゴリさん


そんな高校時代でしたが、全力でサッカーと向き合った結果、高校3年生の時に全国大会優勝を経験することができました(高円宮杯優勝、国体全国大会 5位、Jユースカップ 準優勝)

何度も言いますが、とにかく、環境に恵まれた3年間でした。

高円宮杯 優勝
全国決勝 主将を務めた


サッカー選手としてだけでなく、人として大きく成長できた期間を過ごすことができて、その環境を与えてくれたチームメイトや監督、コーチに感謝しています。

さて、次の記事ではプレイヤーから指導者を志すきっかけになった大学時代のお話を紹介します。見事全国優勝を果たし有終の美を飾ることができた高校時代ですが、それとは打って変わって、サッカーに集中できる環境とは真逆の大学生活が始まります…。

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