『【自己紹介まとめ】プロを目指したプレイヤーから指導者へ。スポーツ×教育をテーマに活動する早瀬良平とは?』
はじめまして、早瀬良平です!
簡単に自己紹介。
僕のサッカー歴はこんな感じです。
・小学2年生:舟入サッカースポーツ少年団 入団
・中学1年生:サンフレッチェ広島ジュニアユース 入団
・高校1年生:サンフレッチェ広島ユース 入団
・大学1年生:青山学院大学サッカー部 入部
ご覧の通り、小学生から大学生まで、とにかくサッカー漬けの毎日でした
そんな大学時代は本気でプロサッカー選手を目指していた僕ですが、現在は高校生向けのサッカークラブチームでコーチの活動をしながら、「スポーツ×教育」をテーマに、サッカーに携わる高校生との1on1コーチングや、その親御さんのサッカー教育にまつわるお悩み相談を行っています!
この記事を読んでいただけると、プロサッカー選手を目指すプレイヤーから指導者になった、僕のことを知っていただくことができます。1分で読み終わるボリュームになっているので、移動中や待ち時間などスキマ時間でぜひ読んでいただけると嬉しいです。
◾️指導者を目指したキッカケ
小学生の頃から、文字通り本気でサッカーに取り組み、自分と向き合ってきました。大学に入ってからは、「次はプロだな」と意識するようになりプロサッカー選手を目指して日々サッカーに励んでいました。
そんな僕が指導者を目指したきっかけは、大学1年生の終わりに発生した「怪我」です。シンプルにいうと、試合中に足の第五中足骨という部分を骨折をしました。サッカープレイヤーによくある怪我で、通常3ヶ月程度で完治すると言われているのですが、まず僕の場合は復帰まで8ヶ月かかりました。そして、その復帰戦でまた同じ怪我をしてしまいました
復帰戦のピッチ上で倒れ込んだのですが、その瞬間に「自分の使命はプレイヤーではないんだな」と悟ったのを今でも覚えています。自分なりに完璧なリハビリをやりきった、にも関わらず復帰直後の再骨折、、「神様はサッカー選手としての自分を望んでいない、、」とさえ思いました
とはいえ、その後2ヶ月はめっちゃ落ち込みました。
それまでサッカー、一筋の人生だったので、その信じていたものが失われ、不安で押しつぶされそうになりました。自宅に引きこもり、朝起きたら涙が流れ…今後どうしようかと。。そんな日々が続いたのです。
ただ、逆に自分と向き合えた2ヶ月間でした。自己内省を繰り返し、本を読み、将来について全力で向き合った結果、指導者の道を選ぶことに決めました。
細かい話は長くなるので、また別の記事で紹介させていただきますね。
◾️熱意ある指導者、恩師「森山佳郎」監督との出会い
指導者を目指すようになった僕ですが、そもそも指導者の重要性は、高校時代に出会った当時サンフレッチェ広島ユースの監督で、現ベガルタ仙台監督の森山佳郎さん、通称ゴリさんから学んでいました。
ゴリさんは、とにかく”熱い”指導者で、ピッチ上では鬼軍曹、ピッチの外ではユーモアに溢れた尊敬できる指導者でありながら、人として魅力的な方でした。
『やれることを全部100やってんのか』
『好きなサッカーで努力できなかったら何もできんぞ』
ゴリさんから言われた言葉は、自分が指導者の立場になった今も心に刻んでいます。まさに生きる教科書だなと思っています。
そんな熱意ある指導者と10代の頃に出会えていたからこそ、指導者の重要性を身をもって感じていて、新たな使命として指導者という選択肢をすんなり選ぶことができました。
※ゴリさんについてはいろんな記事や動画があるのでぜひチェックしてみてください。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
僕のことを知っている方も知らない方も、「早瀬良平ってどんな人?」というのは知っていただけたのではないでしょうか。
僕はこれまでの経験や出会った人たちから学んだことを通して、とにかく「環境」が大切だと感じています。僕は怪我という大きな挫折をしても別の選択肢を選べたのは、僕を取り巻く環境が良かったからです。
(この環境については、今後noteの記事や活動を通して共有させていただきます!)
スポーツ×教育というテーマで活動することで、サッカーに携わる子供たちがより良い環境で学ぶことができ、加えてその子供たちをサポートする親御さんたちが悩みながらもより良い環境を子供たちに準備できるようサポートしていきたいと思っています。
話したいことはまだまだたくさんあるのですが、長くなってしまうので今回はここまでで。
今後、noteをはじめSNSで発信を続けていくので、もしご興味がある方はぜひチェックしてください。
よろしくお願いいたします!
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