【自己紹介③】サッカー人生の転機が訪れた大学時代
こんにちは、早瀬良平です!
はじめに言っておくと、僕は高校生向けのサッカーチームでコーチの活動をしながら、「サッカー×教育」をテーマに、サッカーに携わる高校生との1on1コーチングや、その親御さんのサッカー教育にまつわるお悩み相談を行っています!
僕のプロフィール詳細は、こちらの記事
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さて、今回は人生で最も濃い時間を過ごした大学時代を紹介いたします!
◾️誘惑の多い渋谷のキャンパスライフ
大学時代を一言で表すと、サッカーに集中できる環境とは真逆でした
僕が入学したのは青山学院大学。場所は東京・渋谷の一等地、表参道。そして、歩けば渋谷スクランブル交差点やセンター街などの繁華街にアクセスできます。広島の片田舎から上京したばかりの当時の僕にとっては、絵に描いたような東京ライフが詰まった場所です。
そんな環境の中でまず頑張ったのは、高校生活の継続です。僕の中で、大学でもサッカーに全力を捧げるなら「次はプロ」という気持ちも明確になってきた時期だったので、高校生活の継続を頑張りました。
◾️指導者を目指すキッカケは突然に…
僕にとって人生の大きな転機は、この大学時代にありました。それは度重なる怪我です。
大学1年生の終わりに、サッカープレイヤーには珍しくない怪我をしてしまいました。正直そこまで重い怪我ではなかったので、病院に通いリハビリを粛々と進めて完治に向けて取り組みました。まだ1年生でしたし、短期間で治る怪我だったので、この怪我が治ったらリスタートしようくらいの感覚でいました。
大学3年生で復帰。そして、すぐにまた同じ怪我をしてしまいました。そもそも、思いの外、完治までに時間がかかったわけですが、満を持して挑んだ復帰後の試合で全く同じ部分を損傷してしまいました。正直、絶望でした。
ただ、ポジティブに捉えるなら、ここが僕がプロサッカー選手の夢を諦めプレイヤーから指導者に生まれ変わろうと思った大きなキッカケになりました。
これまでの記事でも紹介していますが、僕は尊敬する指導者に恵まれてきました。それもあって、プレイヤーから指導者になることへのハードルは高くは、ありませんでした。
僕は、大なり小なり挫折は人を成長させる糧だと捉えています。僕も度重なる怪我を経て、人として成長できました。
『やれることは全部やっているのか』
『好きなサッカーで努力できなかったら何もできない』
これは僕がリスペクトする指導者、森山監督の言葉です。
プレイヤー時代、常に「全力でやり切る」を実践していてよかったなと思っています。今では指導者として「やりきれているか」を自問自答しながら日々試行錯誤しています。
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