【自己紹介④】プレイヤーから指導者を目指すことを決意した大学時代(番外編)
こんにちは、早瀬良平です!
はじめに言っておくと、僕は高校生向けのサッカーチームでコーチの活動をしながら、「サッカー×教育」をテーマに、サッカーに携わる高校生との1on1コーチングや、その親御さんのサッカー教育にまつわるお悩み相談を行っています!
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これまで、小学生時代から大学時代までのことを記事に書いてきましたが、今回は度重なる怪我でプレイヤーから指導者を目指し始めた大学時代の番外編を書いていきます。中休みとしていつもよりお気軽に読んでみてください。
◾️どん底の2ヶ月
大学時代、度重なる怪我でプレイヤーから指導者を目指す決意をした僕ですが、もちろんその過渡期はスムーズに気持ちの整理ができたわけではなりません。
毎朝、起きたら涙が自然と出てきました。自分では気持ちの整理ができていたつもりですが、身体は正直だったみたいで
それでも当時は大学も後半に差し掛かっていたので、残りの学生生活でやれることは全てやろうとポジティブに捉えることができました。
こうやってどん底から這い上がれたのも、恩師ゴリさんから受け継いだ「やれることは全部やる」をそれまでのサッカー生活で実践していたからだなと思います。
一時は「大丈夫か、自分」と思ったこともありましたが、気持ちを切り替えて、学生サッカーコーチやアルバイト、インターンシップ、短期留学、学業へ取り組む姿勢など、私生活の全てをポジティブに改善していきました。
特に大学の授業への姿勢は大きく変わりました。それまでは一番後ろの座席でしたが、大学3年終わりからは、毎日一番前の席で受講するようになりました。
そして、生きるスタンスの変化とは面白いもので、一番前の席で受講するようになって出会った友人との繋がりが、大学卒業後に母校の青学で開催されたTED TALKに出演するきっかけにもなりました。
◾️「内定先のインターンシップ」と理由をつくりフィリピンへ
大学最後の夏休みは、英語力を伸ばしたいと思ってフィリピンへ語学留学に行きました。当時、学生コーチもしていたので監督には「内定先のインターンシップで」と理由をつくり休暇をもらいました。
1ヶ月とはいえ、異国の地で生活できたのはサッカー漬けだった僕の人生に新たな価値観を芽生えさせるのには十分な期間でした。
信号もなく車が行き交う街で、日本語も通じず、友達もいないハードな環境でしたが、ある意味”雑音”のない環境がサッカー指導者として、自分は何を伝え、どうあるべきかなどを考える、自分と向き合うことができた時間となりました。
さて、この僕のこれまでを綴るシリーズも残り数回となりました。学生時代は終えて、次回から大学卒業後のお話です。
サッカースクール、スペイン生活、法政大学大学院、高校クラブチームコーチ…大学卒業後も怒涛の生活が待っています。社会人前半は何をしていたのか。次回、お楽しみに!
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