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【ドラフト会議】かつての名場面3選

こんにちは。飯坂涼平です。

2023年10月26日今年もまた運命の時がやってきました。

嬉し涙を流したり、喜びに満ちていたり、覚悟を決める選手もいる一方、思い通りの結果にならず、悔し涙を滲ませ、来年こそはと意気込む選手も数多くいることも現実です。

そんなドラフト会議ですが、過去にはたくさんのドラマが生まれました。皆さんはどのようなシーンを思い出すでしょうか?

今回は皆さんの印象に残っているであろう名シーンを振り返っていきます。

巨人に惚れ込んだ男『清原和博』
ドラフト会議で印象的なシーンといば清原さんだ!という方も多いのではないでしょうか?
当時、高校生の清原和博はその年のドラフトの目玉でした。PL学園での桑田選手と清原選手の愛称K・Kコンビは今でも名場面から外すことはできません。清原は当時から巨人に入団することを強く熱望していました。そんな清原でしたが、巨人が実際に指名したのはK・Kコンビの相方でもある桑田でした。それを涙ぐみながら見守る清原の姿はとても印象的でした。

伯父と野球を『菅野智之』
2011年のドラフト会議では衝撃的な出来事が起きました。現在も読売ジャイアンツで活躍している菅野智之選手ですが、この年のドラフト会議では大学ビッグ3と呼ばれる3人が注目を集めました。現在、千葉ロッテマリーンズで活躍している藤岡貴裕選手、広島東洋カープで活躍している野村祐輔選手の3人の行方に注目が集まりました。その中でも菅野は原辰徳氏を伯父にもち、小さい頃から共にプレーすることを夢見ていました。しかし、結果は日本ハムが1位指名で交渉権を獲得しました。この結果を受け、浪人という選択をしました。いろんな論争も巻き起こる出来事になりました。

大リーグか日本か二刀流は出来るのか『大谷翔平』
2012年のドラフトでは、現在メジャーリーグで大活躍している大谷翔平選手に注目が集まっていた。当時、高校卒業後に大リーグ挑戦を表明していた大谷でしたが、当時の日本ハム監督である栗山英樹氏のラブコールにより日本ハムへの入団を決めます。その中で『大谷翔平君 夢への道しるべ』という球団の統括本部が作成した資料は大きく注目を集めました。

https://frenchkiss-emuzu2.ssl-lolipop.jp/03/zip/121213-nihonham-ohtani.pdf

今回は3つの名場面を振り返りました。皆さんもご自身の印象に残ったシーンを振り返ってみてください。

今年もプロへの道を歩み始めた方たちがたくさんいます。先輩方のように日本のみならず世界を代表する選手になることを期待しています。

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