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生きづらさはおしゃれじゃない

「私も発達障害かも〜」

Twitterでこういったツイートをよく見る。
もちろん、否定はできない。世間は発達ブームで、40人のクラスであれば2〜3人はいるというデータもあるくらいだ。

ただ、僕はこういうツイートを見るたび、違和感を感じる。
そしてこの違和感には、デジャビュがある。

僕が大学生のころ、「サブカル鬱」が一部で流行っていた。
まだ今ほど発達障害というワードが浸透していない時だ。
中島義道という哲学者の本が売れてたりしたのも、それに拍車をかけていたように思う。
要は「崖側のヒロイン」ということだ。

当時の僕は、これに耐えられなかった。イラついていた。

ふざけるな、そうやって生きづらさをネタにできる余裕がある時点で、違うんだよ。根本的に矛盾してるんだ!

ただ、これは今思うと少し違う考え方もできると思ってはいる。フロイトが言うユーモアの概念を適用すればだが。

まあとにかく言いたいのは、本当にビックリするくらい絶望的な世界を生きてる人がいるということである。

僕は毎日ビックリしている。
なんで、この人たちは毎日、急に不安に襲われたりしないのだろうか?
なぜ、毎日服薬もせずに眠れるのだろうか?そして起きることができるのだろうか?

もちろん、健常者と障害者の境界は日々曖昧になってきていること、健常者と呼ばれる人も辛い日々を過ごしていること。それらもわかっている。だから、この記事は叫びではない。

ただ、少しわかって欲しかった。
ただ生きるだけで精一杯な人たちが確実にいることを。
生きづらさはファッションには向かないことを。