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ハーバード大学に憧れ続けた純ジャパ地方公立生はなぜ新鋭のミネルバ大学を選んだのか

(本投稿は、2020年投稿のブログ記事をNoteに再掲載したものです。元記事はこちらへ。)

前回までのあらすじ

高校3年生に入り、受験はついに正念場を迎えた。ビジネスコンテスト世界大会での入賞や最後のチャンスでやっとスコアを確保できたSATが終わると、塾なしでのエッセイ執筆という前代未聞の作業に取り組んだ。一月終盤にはほとんどの大学の受験を終え、3年間にわたる米国大学受験が幕を閉じようとしていた。

ハーバード行って何がしたいの?

さかのぼること高校三年初期….

当時、受験したいアメリカの大学についてリサーチを深めていっていた自分は、ある違和感を覚え始めていました。

ハーバードを初めとするIVYリーグや、スタンフォード等のトップ大学で実際にどのような勉強ができるのかを調べていった結果、自分が魅力的に感じる授業や専攻をほとんど見つけることができなかったのです。

当時の自分は、機会の不平等・教育・EdTech・起業のようなキーワードに惹かれていましたが、実際自分の興味をダイレクトに扱ってくれるような大学はほぼ見つからず、大学のアカデミックと言う点において魅力を感じる大学は少なく感じていました。特にハーバードに関しては、学部分野での専攻に実学の要素があまりなかったため、大学院課程や大学のリソース、コミュニティには大変惹かれたものの、

「あれ、俺って結局ハーバード行って何がしたいの?」

と思い始めるようになりました。

自分が大学で学ぶイメージがあまり持てなかったため、一度大学でどのような内容を学びたいかではなく、大学を卒業したときにどのような人間になっていたいかという視点から考えてみることにしました。

そこで浮かび上がってきたのが、「実践する力を持った人間」になりたい。ということでした。

同時期にSocial Innovation Relayという高校生のソーシャルビジネスプランコンテストに日本代表として出場していましたが、私とチームメイトは、そこでAmaFessionalというオンライン学習プラットフォームを提案しました。簡単に言えば教育版Youtubeのようなもので、ユーザーの興味や能力に合わせて、ユーザーが学び「たい」ものと学ぶ「べき」ものをAIがカリキュラムとして提供するという無料サービスでした。


世界大会の課題動画。ナレッジ共有と最適化を組み合わせた教育サービスを提案した。
誰もが好きなものに出会い、自由に生きられる世界の実現を目指して機会の不平等に包括的に取り組めないかなと、中学の頃から少しずつ温めてきたアイデアでした。全国大会で優勝し、世界大会でも3位に入賞するなど、それなりの評価をもらった一方で、自分はあまり満足していませんでした。というのも、いくらビジネスコンテストと言えど、あくまでアイデア止まりで、世界を変えるためのアイデアを自分が社会で実行できるかとなると、そこには大きなギャップがあるというように感じていました。将来AmaFessionalのようなアイデアを実現するにしても、どのような分野に進むとしても、自分がワクワクできたり、「世界変えられるんじゃね?」と思ったりできた時に、それを社会で実現できるような人間になっていたい。次の大学4年間は、その実践力を付けることに使いたいと考えるようになっていったのです。

椅子に座るだけの4年間か、自ら動く4年間か

実践力をつけたいということが明確になり、ますます大学へ通うことの違和感が増大し始めました。ハーバードを含めたアメリカの大学にしても、全く興味のなかった日本の大学にしても、4年間毎日同じ校舎に通い、講堂に座って教授の話を聞いているだけで実践力なんてつくわけがないじゃないか。そんな疑念を抱きました。また、教授の話を聞いているだけで自分は本当に学べるのか、そもそも楽しいのかも謎に包まれていました。中高を振り返って、自分が何か先生から話を聞いただけで学べていただろうかと考えた時に、僕はあまり印象に残っていることがありませんでした。特に高校に入ってからは、サッカーの朝練の後に日本の大学受験を意識した内容を先生から聞くのがあまり好きではなく、授業だけで何かを学べたということがより少なくなっていきました。試験勉強でよく言われていることの1つに、「授業で全て覚えて帰って、家では復習だけしなさい」ということがありますが、僕は人の話をただ聞いているだけで何かを学ぶのが苦手なタイプでした。自分が何かを学べている時は、講義型の授業であっても、自分から何かを考えている時や自分から手を動かしている時が多いなと気づきました。

ミネルバ大学との出会い

そんなことを考えていた時期に出会ったのがミネルバ大学(Minerva Schools at KGI)です。

ミネルバ大学を初めて知ったのは、高校2年の後期にハーバードに関する記事をネットサーフィンして探していた時でした。


アメリカで一番入るのが難しい大学はハーバードではないというビジネスインサイダーの記事を見て、ミネルバ大学という名前を初めて目にしました。その時はまだ名前くらいしかわかっておらず実際どのような大学なのかはあまりわかっていませんでしたが、同時期にたまたまFacebookの友達が入っていたミネルバ大学の日本向け広報コミュニティを見つけ、そこからどんどん情報が入ってくるようになりました。はたまた同時期に、日本人初のミネルバ大学生が誕生し、彼らの出演するメディアでミネルバ大学の中身に触れていくうちに、そのカリキュラムにどんどん惹かれていきました。最終的に公式のWebサイトに至り着き、書かれているビジョンやカリキュラム等、全てが自分の求めていたものと合致していることに気づきました。

ミネルバ大学に関する日本語での詳しい説明は http://harunakatayama.com/blog/ やhttps://hyamamoto.com/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%A6%82%E8%A6%81/
等を参考にしてください(一部古い情報も含まれますので極力公式サイトを参考にしてください)。

実践的な授業

ミネルバ大学では、オンラインで問題を効果的に解決するための思考法を学び、課外授業では各都市の組織と協同しながら実社会で通用する力を養成していきます。全てが実践のために構築されているミネルバのカリキュラムは、実践力のために次の4年間を費やしたいと考えていた自分にとって唯一無二のものでした。

世界を変えたければ、まず世界を知らなければならない

高校三年生の時に出場したビジネスコンテストでは、世界の機会格差を包括的に解決すべく、ルワンダをスタートアップ とした教育サービスを提案しました。当時の自分はとにかく世界の問題を包括的に解決することに価値を感じていた一方で、世界の問題を解決するには自分はあまりにも日本以外のことを知らなさすぎるということに気づきました。大学を卒業してからでも、色々なところを旅しないといけないなあ。そんな風に考えていたところ、ミネルバは旅しながら大学4年間を過ごせるという一石二鳥の大学でした。椅子に座るだけの4年間ではなく、自ら動く4年間にしたい。そんな自分にも完全に当てはまる内容でした。

求めていた真のリベラルアーツ(学際)

アメリカの大学に惹かれていた大きな理由の一つとして、リベラルアーツ教育が挙げられます。入学時に学部を決めることなく広く学べるスタイルが、学際的に世界の課題にアプローチしたかった自分にとって魅力的でした。一方で、分野をまたいで勉強できるとしても、それが本当に自分のやりたい学際なのか、リベラルアーツなのかということに疑問を感じていました。例えば、コロンビア大学やシカゴ大学に代表されるCore Curriculumという必修では、文学や芸術など、いわゆる教養と言われるものの学習を通して、学生の能力を養っています。Core Curriculumが内容や知識にフォーカスしているというわけではありませんが、私はCore Curriculumのようなリベラルアーツが本当に私が今やるべき学問ではない様に感じていました。文化や芸術はキャンパスで学ぶのではなく実際にその場で経験すればいいと思っていたのです。それよりもリベラルアーツで養うべきものは、思考法なのではないかと考えていました。思考法を軸とし、常に実践を重んじるリベラルアーツを展開するミネルバは、その点で私の理想に合致していました。

また、そもそも分野をまたいで勉強したとしても、どのように分野をまたいで勉強するのかについて引っかかっていました。一般的な大学でも専攻外の科目を取る自由はあるものの、その授業が何を学べ、何のために存在するものなのかがよくわかりませんでした。ミネルバでは一つの授業でもかなり分野横断的で、その授業を受けることで何をできるようになるかが明確だったため、実践を重じていた自分にとって非常に魅力的でした。

多様性

アメリカの大学では世界中から集まった多種多様でパッションを持った人と関わることができる。そのような期待があってアメリカの大学に憧れていました。しかしミネルバ大学を知って衝撃を受けたのが、ミネルバと比べると他のアメリカの大学も~多様ではないということです。日本よりは多様性を重視してはいるものの、アメリカの大学でも留学生率は高くても20%程度です。そしてトップ大学の多くでは、エリート階級や上流階級の生徒が大半を占めているという現実があります。ミネルバはアメリカの大学にもかかわらず留学生率が8割を超える大学で、所得階級も多層に渡ります。多様性を求めるのであればミネルバに勝てる大学がないのは一目瞭然でした。

自分にとってハーバードが憧れの大学であったのは言うまでもありません。しかし、本当に自分がやりたいことは何なのか、それを突き詰めて行った時に、ハーバードが自分のための場所だとはどんどん思えなくなりました。それと同時に、ミネルバ大学が自分が求めるニーズを全て満たしてくれる、自分にとっての理想の大学、Dream Schoolであることを確信していきました。

自分が当時求めていたことが全てここにはある。そのような感覚があり、ミネルバ大学が第一志望へと変わりました。

専願か併願か

ミネルバ大学が第一志望になったのが高校三年の春頃で、その時から、自分はハーバードに受かってもミネルバ に進学するという風に考えていました。自分の理想がミネルバにはあるし、ミネルバ を蹴ってハーバードに入るよりもハーバードを蹴ってミネルバに入った方が圧倒的にインパクトが大きいからです。そう考えたときに、ミネルバ大学のBinding Enrollment Optionという日本語で言うと専願の様な仕組みを使うかどうか考えないといけなくなりました。ミネルバ大学では、この仕組みを使うと、合否の結果が4週間以内に帰ってくるが、入学を確約しなければならず、他の出願先の大学の合否を待つことはできない決まりになっていました。ミネルバの専願は合格率は変わらないが結果が早くわかるので専願で受けることに越したことはないのですが、自分は専願を使いたくないと考えていました。

先例なき道を開拓したい

専願をためらった理由は、自分の特殊なバックグラウンドにありました。ハーバード等のアメリカトップ大学に入る日本人は、ほぼ以下のどれかに当てはまります。

- 帰国子女
- 高IQ
- 海外進学が盛んか進学をサポートしている高校
- 海外進学塾に通っている
- 親が金持ち

僕は今までこのどれにも当てはまらずにハーバードに合格した日本人を聞いたことがありません。ハーバードに限らなくても、米国のトップ大学に入学している日本人で上記の要件を満たさない人はほぼいないと思います。

しかし自分は、上記の要件を一つも満たさずにハーバードを目指していました。そしてその挑戦は、日本の教育界において非常に重要な意味を持っていると確信していました。

一般家庭の純ジャパでも、海外進学実績のない高校から塾なしでハーバードを目指せる。そして実際にこれくらいの成績を残すことができる。僕自身がそういったデータとなり、先例のない道を切り開くことで、様々な人の無意識の思い込みをなくすことができるのではないかと考えていました。

そしてそのような馬鹿げた挑戦ができる日本人は、今後一生現れないのではないかと本気で思っています。なぜなら、投資がものをいう海外進学において組織からのサポートを受けないと言うのは自殺行為であって、もしサポートを受けられるのであれば受けるに越したことはないからです。自分自身もエッセイ添削において、良い添削を受けれられる人がどれくらい得をするのかを肌身で感じたので、これから受験する人にも塾に行けるのであれば行くことをオススメします。それでも、僕は先例をつくるという使命・どうしても塾に通えない環境に置かれていたため、お金のかかる支援は一つも受けないことになりました。

ミネルバに専願で受験すれば、他のアメリカ25大学へのデータが全て無くなってしまうかもしれない。貴重なデータが失われることを恐れていました。これは後から気づいたことですが、ミネルバを専願で受ければ本当に受かってしまうのじゃないかという根拠のない自信が自分の中にはあったようで、それが逆に専願をためらうブレーキとなっていました。

ミネルバ大学専願へ

そんな葛藤がありましたが、最後の最後で、専願での受験を決意しました。一月の米国大学受験終了後、僕は日本の大学を受験する気は全くありませんでしたが、さすがに親も心配になったのか、合格しても行かなくてもいいから日本の大学を受験するように言われました。日本の大学は本当に行く気がなかったので、自分は完全にお金の無駄だと思っていたのですが、お金は私が出したくて出すから受けなさいと言って聞いてくれませんでした。受験料だけなら良いのですが、合格すると行きもしない大学に入学金で20万円も払わせることになります。アメリカの大学の合格発表よりも日本の大学の入学金支払い締め切りの方が早いので、どう頑張っても合格すれば親に数十万円を浪費させることになってしまいます。関西の国立大学と東京の私立大学の二校に出願しましたが、厄介なことに本当に受かってしまいそうな状況にいました。アメリカの大学25校の合否と、親の40万円の浪費を天秤にかけると、前者を取るのは流石に馬鹿すぎるのではないかという考えに至り、日本の大学の入学金支払い締め切りよりも先にアメリカの大学の合格がわかった方がいいのではないかと考えました。また、他大学の合否がわからなくても、ミネルバ大学に日本の一条校から初めて進学するという事実と、今まで進学準備で残してきたデータがあれば、自分の成し遂げたかった「先例なき道を切り開く」ことは十分に可能なのではないかと結論づけました。そして受験締め切りの数時間前に、ミネルバ大学の出願形式を併願から専願に変更し、受験を完了させました。

終焉

それは2月の中旬のとある日のことでした。国内受験のため学校の授業もなくなり、受験の結果待ちであった自分はお昼までぐうたら寝ていました。ちょうどその日、アメリカの某IVYリーグ校の面接のために大阪まで行かなければならなかったので布団に寝転びながらgmailで会場までのアクセスを検索しようとしたところ、ミネルバ大学から受験結果のメールが来ていることに気づきました。特に何も考えずクリックすると、いきなり動画がはじまり、合格おめでとう的なメッセージが表示されました。あまりに衝撃的で、自分が受かるなんて思ってもおらず、思わず叫びながら飛び起きました。








というのは嘘です。

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(合格演出は見せませんが、こんな感じでメールが届きました)
「あ、合格したわ。」という感情の伴わない思考と共に、夕方から面接にいく必要も無くなったので二度寝しました(一応すぐに親に連絡したことはここでは省略)。自分自身も驚きや嬉しさといった感情で溢れることを期待していたのですが、実際受かってみると全くもって無感情で、むしろ無感情であったことに驚きを感じました。こじづけで分析すると

他大学の結果をデータとして取るために最後まで併願を躊躇っていたように、ミネルバ大学合格に漠然とした自信があった。
ミネルバ大学に漠然としたフィット感(ここしかないという感覚)があった?
合格云々より、やっと次に進めるという思いが強かった?
なんやかんやで通過点でしかなかった
などが挙げられますが正直なぜ合格に対して無感情だったのかは分かりません。

しかし、自分が先例のない道を切り開き日本の教育界の無意識の思い込みを1つなくせたことと、自分がやっと新たなステップに進めるということは確かでした。

次回からは、3年間の受験体験を振り返って考えたこと、ミネルバ合格後から入学までの半年間について触れながら、僕のような非帰国子女がミネルバ大学に入るとどうなるのか、サンフランシスコでの一年目から振り返っていきたいと思います。

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この続きは、ブログでは休止中で、現在はYouTubeにて発信を行っています。近いうちにサンフランシスコの一年目のVlogも出す予定ですので、ぜひ興味を持ってくださった方はチャンネル登録をよろしくお願いします。


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