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【2020年ベストプレイス】今年行って良かったトコロ(前編)

前回書いた【2020年ベストバイ】が沢山の人から面白かったというリアクションをもらえたので今回は行って良かったトコロをピックアップ。海外に行けない今だからこそ行きたい日本の魅力的な場所10選を前編と後編にわけて紹介していく。

1.香川県庁舎(香川県) 丹下健三

まずは「世界のタンゲ」と称され多くの国家プロジェクトに携わったスター建築家、丹下健三による言わずと知れた傑作。安藤忠雄が建築家を志し、日本・世界の建築を見て回る旅で最初に訪れた場所でもある。

丹下健三はモダニズム建築の祖、ル・コルビジュエに傾倒し、彼の唱える近代建築五原則、【ピロティ・自由な平面・自由な立面・水平連続窓・屋上庭園】の要素を踏襲しながら日本人としての手グセをこの建築で実現している。ヨーロッパで興った鉄筋コンクリートの近代建築というムーブメントに和風建築の要素をどう組み込むのか、ポイントは「梁」にある。

各階の床下部から出ている大梁と小梁に注目して欲しい。この意匠、どこかで見覚えがないだろうか。

これは寺社仏閣と言った和風建築で用いられる垂木という屋根を支える部材がモチーフになっている。当時日本人の目には異質だったはずのコンクリートで作られたどこか温かみのない印象を与える建築に、日本人が古くから親しみを持って接してきた寺社建築で用いられるでディティールを組み込むことで、精神的な繋がりを持たせることに成功した。コンクリートの塊で作られた高層階の威圧的な建物が日本の都市や精神に浸透させるための工夫と1958年建設当時の市井の人々の目を想像しながら見て欲しい。

2.檮原町(高知県) 隈研吾

2つ目は建築というより、町をピックアップしたい。檮原は町の91%を山林が占める高知県の山奥にある人口3000人ほどの小さな町。この小さな町に新国立競技場をデザインしたことで知る人も多いだろう「木の大家」隈研吾による建築が6つもあるのだから驚き。隈研吾は山林豊かなこの地を訪れ自然と人の共生する姿に心動かされ、日本の建築資材である「木」を使った建築を自分の道として見出したと話している。

近代の建築の中心となる素材は「鉄・コンクリート・ガラス」。20世紀に作られた西洋の新しい建築の素材の隆盛は今も続いているし、パッと思い浮かぶスゴイ建築や住んで見たいと思う家は多分木では出来ていないはず。

僕の好きな杉本博司の建築プロジェクトである新素材研究所にこんな理念がある。

「旧素材こそもっとも新しい」

隈研吾の建築もこの理念に通底するものがあると思う。言い換えるなら

「旧技術こそもっとも新しい」

例えば、檮原町立図書館のこの印象的な組木、地獄組みは飛騨に伝わる100年以上の歴史がある技術。組木というのはテトリスみたいに木に凸と凹を作りそれを組み合わせるだけで、釘やボルトを一切使わない。理論的には全てバラバラにしたらもう一回組み立てることができ、一部の部材が腐ったら取り替えることができるエコフレンドリーな方法。一番古い建築技法は「結ぶ」。組木のような「はめる」というのはその次と言われている。

先の「古いものが新しい」というパラドックスはとても面白い。洋服のデザイナーも古着から着想を得ていることが多い。過去、現在、未来のタイムライ上において未来を過去から構築する。人間はもう本当の意味で新しいものを作ることができないのかと悲観するべきか人間の文化はこんなにも豊穣だったと喜ぶべきかこれは読んでいる人にお任せする。

よく「自然の中にいるような」みたいな枕が都市開発などで使われるが、檮原ではそれが標語では無く、リアルに体感できると思う。むき出しの木材、木の香り、差す日光。内と外の感覚がゆっくりと溶けていく感覚をぜひ味わってほしい。

3.ハイタウン北方(岐阜県) 妹島和世他

お次は愛すべき地元、岐阜県から。60年代に老朽化した県営団地を98年にリニューアルしたこの団地はただの団地にあらず。設計者には建築をちょっと好きな人だったら聞いた事がある名前がずらっと並ぶ。金沢21世紀美術館で有名な建築ユニットSANAAの妹島和世に高橋昌子、クリスティン・ホーリィ、エリザベス・ディラーがそれぞれ棟のデザインを受け持ち、さらには磯崎新による生涯学習センターに、シーラカンスアンドアソシエイツによる北方町庁舎。ほんとにこれが岐阜かと申し訳ないが疑ってしまうビックネーム揃い。今回は妹島和世設計の棟と北方町庁舎をピックアップして書きたいと思う。

まず、パッと見て思うのがこの右上から左下に走る階段。どこかで見た事がある。ヒントはパリ。

本家のように配線むき出しの荒々しさはないが、レンゾ・ピアノの問題作にして傑作、パリのポンピドゥーセンターを思い出さずにはいられない。そしてもう一つがルーチョフォンタナ。

世界的に有名な美術館と団地の棟が結びつく事もなかなかないだろうが、建築が抽象画を連想させる事もコルビジュエとモンドリアンくらいのものだろう。水平と垂直を基とする退屈な連続になりかねない建築に一閃。建築がキャンバスに変わる瞬間をぜひ見てほしい。

そして北方町庁舎。先の丹下健三による香川県庁舎が「権力の象徴」だとしたら、こちらは心理学者ユングが権力の対義語として答えた「愛の象徴」と呼びたい。

権力者は昔から自らの力を誇示する為に上を目指した。城やゴシックの教会がわかりやすいと思う。現在もお金を持った人が住みたがるのはタワーマンション。高い=偉いという意識はどうやら人間の意識のうちにインプットされているらしい。しかし、人間は太古に上を目指して大きな罰を食らった事がある。旧約聖書、「創世記」に登場するバベルの塔である。

全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[4]の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
— 「創世記」11章1-9節[5]

丹下の建築は戦後から経済成長の真っ只中に作られた時代で海外へのプレゼンスを発揮する必要があり、建築も上を目指す必要があった。しかし時代が流れ人々が政治や行政に求めるものも変化した。権威よりも透明性。建築は時代を象徴するメディアで、北方のこの庁舎は低層階でガラス張り。建築、特に公共建築は今の時代精神を投影する。そんな目で建築を見てみるのもなかなか面白い。

4.富山県総合福祉会館サンシップとやま(富山) 池原義郎

だいたい僕は旅行先を選ぶ時、行きたい美術館と建築をできるだけピックアップする。雑誌だったり本だったり、ネットも使えばインスタも使って面白そうなトコロをリサーチする。情報収集能力も長けていると自負している。しかしここは全くノーマークだった。富山の市内、車中ボーと外を見ていたら不意に現れたのがこの建物。浮遊感のある直方体にぶっ刺さる三角。外見のインパクトも相当なものだが、ここのすごいトコロは中。

ガラスに表面を覆われて軽やかな印象とは裏腹に内部は配線、構造が丸見えになっている。逆ポンピドゥセンターのような建物、どう解釈するべきだろうか、正解はないだろうがなんとなく行き着くのは建築という器が抱擁する存在、人間である。人間の表面である肌は髪の毛などは生えているものの基本的にはつるっとした存在で中には臓器や血管などがたくさん流れている。この建築を理解しようとした時に人間を連想したのは正しかったのかもしれない。色々解釈の余地が広がる。

例えば、外見の美しさと内部の複雑な様子は顔で笑い、心で泣く人間の感情の複雑さとも言える。さらに、建築は必ず外から入り口を通って中に入る。この時間軸とこの建築の外部と内部の特徴を比較すると〈外/過去:綺麗、中/現在:汚い〉人間の老いとも結びつく(汚いと言っては失礼だが)。失礼を挽回するために言うと、この建築の名前を思い出して欲しい。富山県総合福祉会館である。つまり老人の為の施設であり、汚いはずの構造や配線を敢えて見せている狙いは老いへの礼讚ではないか!

この建物の優れている点は中と外の対比に止まらない。透明なエレベーターに乗り、上に行くとより構造=シワがはっきり見える。エレベーターの上下の運動を現在と未来という時間軸に置き換えて上行くほどシワがよく見えると言う演出はあまりにもできすぎている。内と外、下と上で時間や人体の構造の変化を建築を使って表現し、それを肯定する(あくまで推測だけど)舞台装置として機能していることに気づくとこの建築は感動モノである。

なんとなく見た目がすごい、綺麗という感想に建築を見ても終始しがちな人はその建築がなんのための作られ、どこに建てられているのかなどを含めて考えてみるといつもより建築を楽しめるかもしれない。

5.富山県美術館(富山) 内藤廣

前半の最後はもう一つ富山県から、内藤廣設計の富山県美術館。建築を見て回るようになった当初は見た目のインパクト、表面的な意匠が面白いと思う基準だったが、最近では環境設計だったり、施工だったり、はたまた建築理念が興味の中心になっている。

これは洋服でも同じことが言える。最初はデサインの面白さが気になり、素材が気になり、最終的に思想に行き着く(人それぞれだとは思うが)。「ブランドの本質は思想への共感にある」と買って良かったモノで書いたが、建築を始め全ての文化的な行為が自分の中でこの結論に行き着いている。内藤廣の建築は見た目の派手さはあまりないし、正直言われないと分からない。しかし、深く踏み込んでいくと味が出るスルメみたいな建築家だと思う。

受験で英語の勉強をしている時に分からない単語が多すぎる文章を読んでいると目が上滑りしていく感覚になった事がある。共感できる人も多いと思うが、アートだったり建築も同じ事が言えると思う。なんとなく言っている事が分かるような気がするが良く分からない。どこがいいのか良く分からない。これは単純に単語不足が起こっているだけで決してあなたに美的センスや感性といった判定基準が曖昧で良く分からないものが不足しているからではない。文の意味(マクロ)の理解の段階から単語(ミクロ)を理解する段階なるにはやっぱり単語を覚えなくてはいけない。建築に興味が少しでもある人は内藤廣の著作で東大での講義を収めた『環境デザイン講義』をおすすめしたい。自分自身これを読む前と後では見るポイントが大きく変化したし、建築を見る事が今まで以上に楽しくなった。

ガラッと話を変えて思えば初めての美術館の紹介になるので、ここの美術館のオススメポイントをあげたい。何と言っても見ものは名作椅子コーナー。20世紀のデザイン史を代表する国内外の椅子デザインが常設展示されている。建築にあまり興味がない人にとっては椅子などもっと興味がないと思うが少し聞いてほしい。

椅子は人間が生活する上で必ず行う、座ると言う行為を支える器で、建築が人間の生活を支える最大の単位としたら最小の単位は椅子になる。それゆえに多くの建築家が自身の専門から外れるプロダクトデザインに当たる椅子の設計を行ってきた。彼らにとっては建築を小さくしたものが椅子という感覚なんだと思う。

建築同様に椅子はその次代の技術と素材と思想の賜物で、例えば駅のホームで良く見かけるプラスチックの椅子はFRP(ガラス繊維補強プラスチック)と言う素材でできており、その背景には第二次世界大戦時アメリカで、戦艦や軍事機を作るため金属が不足したためそれに代替する丈夫で軽くて安価な素材の開発を目指した事で誕生した。この新しい素材を活かすためにチャールズ&レイ・イームズが背面と座面が一体化した今のホームにある椅子のようなシェル型の椅子を生み出した。

このように技術と表現は相互作用を持っており、いつの時代も変わらない。ところが、時代が進むと表現だけが一人歩きし、その当時の技術の話は風化する。それが進歩というものだから仕方ない。この一種の傲慢さのメガネを外し、50年前、100年前に想いを馳せてみる。すると、椅子の歴史が成型合板やキャンティレバー構造など技術と表現の格闘の歴史である事が見えてくる。各時代のデザイナーの素材の美しさを最大限活かすために考えたミニマムな建築である椅子を見て、興味をもった椅子を少し深くまで調べて見てほしい。そうすると身の回りにあるものありふれたものの見方が少し変わると思う。この少しの気づきの大きさを知ってしまうと抜け出せなくなる事は、僕が身を以て証明している。


長くなりましたが、まだ前半です笑。

後半も頑張って書くので楽しみにしていてください。

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