遅すぎたけど、間に合った。

仕事ばかりしていた親父だった。けれど、全試合に足を運んでくれた記憶が残っている。

小・中学校時代、ぼくを含めた3兄弟は皆、サッカーをしていた。所属チームは、全国において強豪ではなかったけれど、都内有数のチームではあったから、年間試合数はそれなりに多かった。加えて、毎週のようにあった練習試合は、所属中学や近隣中学だけでなく、23区外・都外でも行われた。試合は基本的に土・日だから、親父は、全ての休みを3兄弟のサッカーに充てたことになる。

当時のぼくは、思春期だったこともあり、ただの練習試合にさえ遠方に足を運ぶ父を疎ましくさえ思っていた。けれども、自分も親となったいま、そんなことはなかなかできることじゃないと知った。親父が死んだことで、そんな過去を美化する作用も働いてか、懐かしく思う。

結果が出た試合は喜んでくれた。負けて悔しがっているときは、静かに見守ってくれた。プレーの良し悪しについてコメントすることはなかった。いまでは、そんな風に成長を見守ってくれたことに、感謝している。

親になったぼくに、「信じて、待つこと」と、親父なりの子育て方針を口にしたことがあった。それはきっと、ぼくの子育てを見た、親父からの戒めだった。思い返せば、親父はずっと、その姿勢を崩さなかった。信じられないほどに、なんでも受け入れてくれた。

葬儀の日、初めて親父のことを知った気がした。参列者が語ってくれた親父の過去や思い出話など、聞いたこともない話をたくさん聞いて、いつも一緒にいたはずの親父のことを、半分も知らなかったことに気づいた。

いつまでもあると思うな親と金、なんて言うけれど、本当だった。いつか死ぬなんて、知っていた。でも、本当に知ったのは、死んだあとだった。

死ぬ直前、棺のふたを閉めるとき、火葬場で焼かれる瞬間、何度も親父に伝えた言葉、それは「ありがとう」だった。こんなときになって初めて、心の底からそう言えた。

遅すぎたけど、声が届くうちに言えた。「お父さん、ありがとう」

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