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【短編小説】トモダチ タクサン アタシハニンキモノ

 とある女は、友達が多いことを何よりの誇りとしていた。言い換えれば、友達の多さを、ステータスとしているようなところがあった。

 女は、世間様の役には立つが、けして楽ではない職についていた。毎日がため息と辛苦の連続であったが、女がその仕事…正確にいえば職種…から離れられないのは、単に適性の問題であった。
 平たくいえば、その職種以外に就くことは極めて困難なのである。

 そうなると「友達」の存在というものは実に有り難いと思うのは至極真っ当なことである。

 女は、きつい仕事が終わると、すぐさま「友達」との集まりに顔を出しては、その日にあったこと、日頃の愚痴など実に他愛もない話で盛り上がった。さらに女は、新しく集まりに参加した人間がいた場合、真っ先に取り入り、「友達」を増やしていった。

 そしてほどなくして女は、自ら集会を主催するようになった。それまでの「友達」は勿論、「友達の友達」までも引き込んで、交流を楽しんだ。

 何人かの「友達」は、女を極端に誉めそやした。

 キミはまっすぐで素直で良い子だね…

 資格の必要な仕事をしているんだから頭が良いんだね…

 キミの趣味は変わっているけれど高尚だね…

 キミはかわいくて綺麗で育ちが良いんだね…

 そういったことを言われるたび、女の脳からは大量のドーパミンが分泌され、疑うこともないまま、それが実態であるかのように思い込み、悦に入る。

 そうなると、女が「友達集会」で「天狗」になるのは、さして時間がかかることではなかった、

 元来、女にはある程度親しくなったと認識した相手には、罵倒の言葉を投げかける癖があったが、女自身はそれが自分流の親しみの表現であり、且つ自身が「好かれる」きっかけのひとつだと信じていた。

 やがて女は、次の日の早朝から仕事であっても、その楽しさゆえ時間を忘れて「友達集会」にのめり込むようになっていった。時には深夜や早朝までまさに寝食忘れ楽しみ続けることも、日を追うごとに増えていったのである。

 そして、ほぼ寝ずに出勤することも珍しくなくなったのだが、睡眠不足は職務上でのミスが増える原因に容易になり得る。女の場合も例外ではなかった。

 しかし女は自分の非を認めることをしない、そもそも客観的にみて女に非があることでも、女自身がそれを理解し、自覚することはしなかった、というよりもできなかったのだ。

 そうなれば、職場では疎まれ、当たりが強くなる。しかし女は、辛さや悲しみよりも、怒りの感情を持つことが多い傾向にあった上に、それを憚ることなくむき出しにして、抗議することが度々あった。当然、聞き入れる者は一人としていなかったが。

 職場や社会から疎まれても良かった。
 自分には「友達」がたくさんいて、しかも「友達」ほぼ全員から愛でられ、崇められているのだから、職場等でどんなに咎められようと「自分が本当は有能で人気者だから妬まれ僻まれているのだ」と解釈し、気に留めることもなくなった。

 女は、徐々に職場で孤立し、社会からはどんどん置いていかれる一方であった。

 しかし「友達集会」を控えることもせず、むしろ女の人生軸はそちらが中心となりつつあったのである。

 女は、これまでの話で大方想像がつくと思うが、けして知能が高いとはいえず、たとえば、悪いことを悪いとわからずにやってしまい、後で悪かったとわかったとしても「知らなかった」で済むと本気で信じているようなところがあった。

 その日も女は眉を顰めながらヒソヒソ話をする同僚を尻目に、意気揚々と職場を後にした。
 そして、深夜の「友達集会」に打ち興じ、その頃には、仕事での稼ぎの殆どをその集会につぎ込む有様で、家賃の支払いは滞りがちになり、仕事の際に身だしなみに気を遣うことさえも放棄した。

 明け方近くまで多数の「友達」を「親愛」の意味合いで罵倒し、自分がいかに魅力的かを語り、それに同意しない、あるいはあまり意思表示をしないメンバーは「スパイ」であると決めつけ、職場でそうであるように、感情をむき出しにして批判した。
 時には人格否定にあたるようなことまで口にして、顰蹙を買うこともあったが、やはりそれを「妬み僻み」と決めつけ、自らを顧みることなど考えもしなかった。

 ひとしきり楽しむと、既に出勤時刻まであと30分しかない、というような時刻になっており、女は、大儀に思いながらも、出勤した。

 しかし、事件は起きた。女は睡眠不足からくる不注意により、人身事故の原因となる大ミスをしてしまったのである。

 それは、新聞やテレビ、ネットニュースでも取り上げられた。

 当然、女は懲戒免職となり、然るべき機関へと送られた。

 不幸中の幸い、女の両親はそれなりの資産を持っていたので、女は世間で言うところの最悪の事態は免れた。

 しかし、失った職は戻らない。
 両親は、女を最悪の事態から救うために、自宅を含む持っていた資産のほぼ全てを投げ打った。

 女は、住んでいた高級マンションを退去せざるを得なくなった上に、実家も、両親が売りに出してしまったため、帰ることもできなくなった。

 結局、築50年は経っているであろう格安の狭いアパートに年老いた両親と住まうこととなり、住居は確保できたが、経済状況は180度変わった。

 両親の年金から、家賃と光熱費、そして食費を出すので精一杯、懲戒免職となれば退職金も出るはずもなく、雇用保険も通常と同じように受給できるわけではない。

 自由に使えるお金がなくなった女は、スマートフォンやインターネット通信設備の利用料も払えなくなり、同時に「友達」も全て失った。

 何故か。金の切れ目は縁の切れ目とは言うが、そこまで簡単に「友達」は去るものであろうか。
まして、毎晩のように集会を開いては共に盛り上がっていた関係である。

 実は、女の「友達」は、すべてスマートフォンやパソコンの画面の向こう側にいたのだ。
集会は、ネット上のとあるコミュニティサービス。
 匿名性が高く、素性を隠したり偽ったりも簡単にできる、いわば仮想集会であり「友達」も全て、それがあってこその、そういう存在だったのだ。

 スマートフォンもインターネットも使えなくなった女には、現実しか残されていなかった。

 忘れようとしていた現実。
 本当の「友達」などひとりもおらず、当該コミュニティサービスを知るまでは、積極的に人に話しかけることすらできなかったという現実。
 社会性に欠け、攻撃的な側面を持っているため職場で疎まれていたという現実。
 本当は人気者でも魅力的でもなく、当然妬みや僻みなど受けるはずもない自分という現実。

 今、女は生活保護の受給手続きの説明を聞きに役所に来ているが、年末近くのためか混み合っており、ベンチに座って順番待ちをしていた。

 その顔には、未だ、本当は存在しなかったも同然の「友達」との交流を楽しんでいるかのように、呆けたような笑みが浮かんでいた。

 女は、もうじき40歳を迎える。

※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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