シャラリ

自分の中で大きかった音楽との出会いの話

2011年当時、自分は日本のオルタナティブなロックや日本語ラップを多く聴いていた。ロックはbloodthirsty butchersやeastern youth、Number Girlなど小学生の頃から聴いていたものを改めて聴いていた。日本語ラップといえば当時はAmebreakなんかで情報を集めて、般若、SEEDA、SD JUNKSTA、SIMON、サ上とロ吉、RHYMESTERなんかを聴いていた気がする。で、偉そうに当時付き合っていた彼女にいろいろ教えていた(後にSKE48の松井玲奈さんのカレンダーをコッソリ注文していたことが原因でブチキレられフラれる)。

ただ、HIPHOPに関しては9つ上の兄の影響で少しずつ路線が変わっていった。兄はリアルタイムでremixを読み、SeminishukeiやCIAZOO、Medullaなんかもチェックして、RAW LIFEにも足を運んでいた。そんな中、2011年の夏に兄に勧められてERAの"3 WORDS MY WORLD"を聴いた。

その頃、BACH LOGICが作るような派手なHIPHOPばかり聴いていた自分にとって、Seminishukeiの面々が作るサイケデリックでレイドバックしたようなサウンドと街の風景を描写したERAのラップは凄く新しいものに感じた。当時笹塚で下宿暮らしをしていた時、下北まで歩きながらよく聴いた。

そして、2012年の1月にその兄に「下高井戸にTRASMUNDOという店があるから、そこでコサパネルラのCDとBUSHMINDの"Letters To Summer"というmixを買ってきてくれ」と頼まれて初めてTRASMUNDOに行った。コサパネルラとTAMUの"本音は骨の髄の中"を買ったものの、"Letters To Summer"は無かったのでまたしばらくしたら来ようと思ってた。

それからちょっとして、笹塚ボウルで"REFUGEE MARKET × Behind the 8ball"というイベントが開かれた。今見てもとんでもないメンツである。当時私は笹塚駅前の居酒屋でバイトをしてて、閉店の夜中3時くらいにあがってから遊びに行こうと思ってた。すると、店長が「さっき入ってきたお客さんイベント関係の人っぽいよ」と言ったので、接客する際に話しかけてみた。

「笹塚ボウルのイベントに行かれるんですか?僕もあとで行こうと思ってて」
「そうなんだ。誰が見たいの?」
「ERAが見たいんですよねー」
「ERAのアルバムのトラック俺たちが作ってるんだよ」

死ぬほど驚いた。そのお客さんはTONOさん、BUSHMINDさん、DJ PKさんだった。お三方はその数ヶ月後に話した時も、居酒屋のことを覚えててくれて凄く嬉しかった。

今思えば、この時期からWDsoundsやSeminishukeiを追いかけるようになった。TRASMUNDOで初めて勧められて買ったmixはPKさんの"TEKNO BOMBING"だった。日本語ラップが好きな自分に対して考えて勧めてくれたのが嬉しかった(中身はバキバキのハードテクノでビックリしたけど)。後に買った"Letters To Summer"も人生の1枚と言ってもいいくらい大切なmixだ。

もう一つ自分の中で大事な音楽と出会ったのは2012年3月だった。先ほどのおつかいをきっかけにTRASMUNDOに通っていろいろなことを教わるようになった中、ECDの"Don't Worry Be Daddy"が入荷すると聞かされた。その当時の自分のECDのイメージは「何だかよく分からない先鋭的なラップをしている人」みたいなボンヤリしたものだった。でも、勧められて買って聴いたECDのアルバムには衝撃を受けた。その当時、自分が聴いてた中で一番「HIPHOP」だった。純粋に「カッコいい」と思った。

ECDさんは音楽では先頭を走り、更に"個"として社会と向き合う姿を示してくれた。反原発デモや国会前抗議で見たその姿は逞しかった。

そんなわけで、2012年は今の自分を形作る上で凄く大きな変化の年だったと思う。

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