2021年のご挨拶(存在できる理由)

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あけましておめでとうございます。

年末年始を日本で過ごしたのは8年ぶりくらいなのではないかと思いますが大変久しぶりとなりました。年越しそば、初詣と日本の習わしを新鮮な気分で嚙み締めました。
東京のお正月はバニラ味しか売っていないアイス屋のように何かが足りない。

2021年3月まで外国に行けることもなさそうですが、そうすると実に1年間海外に行けなかったことになります。
海外に1年間で一度も行かなかったのは22年ぶりという記録になりそうで、私の”物語”では祭りでもしそうな珍事となります。

さて、2020年を振り返ると・・

2020年1月からコロナの悪臭が徐々に世界を覆い全てを変化させてしまい、年末年始はより一層猛威をふるっています。

このコロナで好影響を受けた会社と大幅な損害に合う会社と2つに分断されました。ざっくり言うと、オンライン事業はプラス、リアル対面事業はマイナスという感じです。

それまで私ども含めて、きっとどの企業・団体も時には夜すらもトーチを照らして頂上(ビジョン・夢)を目指して険しい山を登っていたともいえるわけですが、ある日突然の濃霧(=コロナ)に出くわし遭難した者と、その霧が筋斗雲となり一気に頂上が近づいた者がいる・・そんな白黒の世界に足を踏み入れたような感じです。

そして・・
私が代表を務めるvery50は 悲しくもド真中で遭難をしてしまっています。

天災は”突然”来るということだと思います。
遭難、雪崩、地震、海難、自然火災、落雷・・・

ところで、私は2008年1月26日に、とあるメキシコの海で私と2人の友人で泳いでいるときに友人が波に流されて失くしてしまうという消すに消せない痛ましい思い出があります。

とても高い波だったことに気づかず、無邪気に海水浴を楽しんでいた私たちは、かなり遠く沖の方に流されていたのです。

懸命に戻ろうとしました。あがきました。

浜に戻る途中で、高波の中でどちらが水面かわからなくなるほどに水中で回転をするほどに死を覚悟したのです。

ただ、それでも私は生き残りました。
彼は海の彼方へ逝きました。

生き残れた理由・・これはもう一重に”運”です。

さて、2021年お正月にvery50はコロナという高波の中、水中で何回転もして息継ぎが危うい状況ですが、呑気に2021年という1年に向けて、こうしてスタバでキーボードをたたいて文を書いています。

経営戦略や論理力なんて高尚なものを時に人前で語ったりもする嘘くさい私は「経営力」などではなく、”運”によってこの1年をやってこれました。

本当は月並みに、支えてくださる皆さまのお陰、仲間・・とかそういうのが体裁もいいんだと思いますし、「そりゃ勿論そうさ!」と白いTシャツにジーンズをはいた私は叫ぶわけですが、そういうの飛び越えたところで”見えない力のお陰”であると結論付けた方が余程腹に落ちるところもあるわけです。

私は小さいころ実は自分以外はだれも(親さえも)生きていないのではないか・・・実は自分が誰かと話している時だけ、誰か(神様?、ゲームマスター?)が自分のために他人を動かしているのではないか?というとても自意識の高過ぎる考えを持っていました。

まるで、自分が物語の中のキャラクターのように誰かに動かされているだけなのではないか・・

だとすると、今のところ生かされている2021年、とことんあがいて見せようと思いますので皆さま、是非お付き合いください。

最後に私、運はいいようです。
皆さんも私にあやかっていただければ”運”がつくというものです。

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