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遺伝率は「親から子へ何%遺伝するか」という値ではない

遺伝率(heritability)は非常に誤解されやすい概念です。どれくらいかというと、講義で教えているのに、試験をすると全く違うことを書いてくる学生がかなりいます。遺伝率と聞くと、ある特徴が親から子へ何%くらい遺伝するかという値だと思ってしまうのはまあ無理もないのですが、実はそうではありません。ここでは、遺伝率とは何かということについて、できるだけ簡単かつ平易に解説したいと思います。

 ここで「遺伝率」として取り上げるのは、ヒトの様々な特徴の遺伝率です。ヒトの場合は家畜や実験動物などと違って交配実験ができないので、その遺伝率については推定するしかありません。つまり、巷でヒトの遺伝率として出てくるものは、正確には「推定遺伝率」です。ではどうやって推定するのかというと、双子のデータを用います。

 推定遺伝率とは、一卵性双生児の相関係数から、二卵性双生児の相関係数を引いて2をかけたものです。相関係数は分散、つまりばらつきについての指標なので、その差から求められるものもばらつきについての指標でしかありません。つまり、そこから個人の特徴がどれくらい次の世代に遺伝するのか、ということについては何もいえないはずです。それを理解するためには、まず相関係数について理解しなければなりません。相関係数についてすでに知っている人は、読み飛ばしてもらって結構です。

 相関係数とは、例えばふたつの変数があったときに、そのあいだにある関連性を表す指標です。ひとつの変数をx、もうひとつをyとすると、xが増えればyも増える、という関係があったとき、xとyとのあいだに正の相関がある、といいます。逆に、xが増えればyが減る、という関係があったら、xとyとのあいだには負の相関があることになります。これはつまり、それぞれのxの値がxの平均値からどれくらいずれているか、という程度と、それぞれのyの値がyの平均値からどれくらいずれているか、という程度とのあいだにどういう関係があるか、ということを表しているわけですね。

 遺伝率の推定の場合、まず双子のそれぞれについてデータを取ります。身長を例にとりましょうか。一卵性双生児の兄弟100組について、兄の身長と弟の身長をそれぞれ計測したとすると、兄の身長が高ければ弟の身長も高い、という、正の相関がみられます。これはつまり、100組の兄弟それぞれについて、平均値からのずれの程度が似ている、ということを意味します。相関係数は双子の類似度を示しているわけですが、それはあくまで集団の平均からずれている程度が一致しているに過ぎない、ということをよく理解してください。なぜ一致しているのかというと、ひとつは遺伝子が共有されているからですね。一卵性双生児は遺伝的には100%同じなので、遺伝子が身長に影響しているのなら、その影響によって兄弟のあいだで身長が似るわけです。

 もうひとつ、身長の類似に影響を与えるものがあります。それが共有環境です。一卵性双生児は母親から同時に生まれて、同じように育てられています。同じ環境を共有しているので、当然それによって似てくる部分もあるわけです。身長の場合だと、食習慣が同じだとか、同じようなスポーツをやっている、ということがあるでしょう。つまり、相関の強さは遺伝と共有環境の影響を足したもの、と考えることができます。これを式で表すと(1)式のようになります。

$${{\large\ r_{MZ}}={A+C}}$$    (1)

rmzは一卵性双生児の相関係数、Aは遺伝の影響、Cは共有環境の影響を示しています。

 次に、100組の二卵性双生児についても同じように身長のデータを取ります。二卵性双生児も、母親から同時に生まれて、同じように育てられています。つまり、共有環境の影響は一卵性双生児と変わらない、とみなせるわけですね。違うのは遺伝の影響です。一卵性双生児は、元々はひとつの受精卵だったものが、たまたまふたつに分かれて別々の個体として発生したものです。つまり、一卵性双生児は全くゲノムが同じで、いわば天然のクローン人間といえるでしょう。一方、二卵性双生児は、別々の卵子が別々の精子に受精し、たまたま同時に発生して生まれてきたものです。よって、生まれるのは同時ですが、遺伝的な関係は歳の離れたきょうだいと変わりません。その場合、きょうだいのあいだで共有されている遺伝子は半分だと考えることができます。この違いから、遺伝の影響が推測できるわけです。二卵性双生児について、遺伝の影響と共有環境の影響を式に表したのが(2)式です。一卵性双生児の遺伝の影響をAとすると、上述のように、二卵性双生児における相関係数(rdz)への遺伝の影響はその半分と考えられるので、0.5をAにかけなければなりません。

$${{\large\ r_{DZ}}={0.5A+C}}$$    (2)

 さて、知りたいのは遺伝の影響、つまりAです。数学が苦手な人でも、(1)式と(2)式からAを求めることはできるでしょう。

$${A={2(\large\ r_{MZ}-\large\ r_{DZ}})}$$    (3)

 このAを、推定遺伝率と呼んでいるわけです。最初に述べたように、一卵性双生児と二卵性双生児の相関係数の差ですよね。ということは、兄弟の身長のばらつきの差でしかないわけです。ここから、特定の親の身長がどれくらい子に遺伝するのか、ということは分かるはずがありません。

 ではこの推定遺伝率が何を表しているのかというと、身長のばらつき、つまり平均からのずれに遺伝がどれくらい影響しているのか、ということです。身長には個人差がありますよね。ある集団の中には、身長が低い人も高い人もいるわけですが、そういった個人差がどれくらい遺伝による差によるのか、というのが推定遺伝率です。身長の場合、推定遺伝率は0.8くらいだといわれています。つまり、身長のばらつきのうち8割くらいは遺伝情報のばらつきによるものだ、ということです。残りの2割は、育った環境の差によるものです。ある両親の身長が高かった場合、その子どもの身長が高くなるのかどうか、ということはここからは分かりません。逆に、両親の身長が低かったからといって、身長を伸ばすような努力をすることが無駄であるとは、少なくともこの推定遺伝率からはいえないということです。

 個人差があることが分かりやすいので、例として身長を挙げましたが、学力や性格についても同様にかなりの遺伝率があることが分かっています。特に学力は努力次第で上げられるという感覚が強いので、その遺伝率については誤解している人が多いようです。例えば学力の遺伝率が0.6だったとして、それが意味するのは、ある人の学力の6割が遺伝によって決定されており、努力でカバーできるのは4割ということではありません。ここまで説明してきたように、学力に個人差がある場合、その個人差の6割が遺伝による差として説明できる、というのが正しい意味です。個々人の学力がどれくらい遺伝によるのか、ということは、この推定遺伝率からは何も分かりません。学力以外の能力や性格についてもそうですが、たとえ遺伝率が100%だったとしても、それは個人の能力や性格についてのことではないので、変えられないものではないのです。

 また、個人差は遺伝による差と環境による差からなっているので、当然ですが環境による差が小さくなると、遺伝による差が大きくなります。学力を例にとると、例えば経済的な理由で学校に通えたり通えなかったりというような、教育を受ける機会という環境による個人差が大きければ、遺伝による差が出にくくなりますよね。逆に、みんなが同じように教育機会を与えられれば、そこでみられる学力の個人差は、ほとんどが遺伝による差ということになります。他の能力についても、年齢を重ねると自分で環境を選びやすくなるので、それだけ環境による差が生まれにくく、そのぶん遺伝による差が現れやすくなります。これを誤解して、個人の能力について、年齢が高くなると遺伝の影響が出やすい、と思っている人もいるようなので注意してください。この場合、遺伝の影響が出るのはあくまで個人差です。

 最後にもう一度言います。ある特徴についての推定遺伝率は、双子の個人差から求められるものなので、個人差以上の情報はそこには含まれません。個人のなかでの特徴の遺伝については、そこからは何もいえません。

参考文献

平石界 (2013). 第3章 人はなぜ違うのか. 五百部裕・小田亮(編著)心と行動の進化を探る 朝倉書店.


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