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2021年に読んだ本(真面目なもの)の感想など(2)

全体的にやや左傾なので、そのあたりはご容赦を。

エドワード=サイード『オスロからイラクへ

戦争とプロパガンダ 2000-2003』


 2003年と先のイラク戦争前後に執筆されたもので、少し古くなっていますが、これも名著ですね。
 如何にイスラエルがパレスチの民衆の生活を脅かしているかが分かります。
 要するに(言葉は悪いですが)、武力侵略してパレスチナの人々の土地を奪い、そこに居座り続けているのがイスラエルの姿です。村々をブルドーザーで壊し入植地にし、そこに世界中のユダヤ人を移住させ、入植地を拡大するという政策もとっています。
分離壁を設け、検問で移動の自由を恣意的に制限し、日用品の買い出しや病人の搬送すらパレスチナ人はままならない状態です。
 アメリカから無償で供与される最新鋭の武器で攻撃しておきながら、パレスチナ人がそれに対してせいぜい石を投げて反抗する場面を取り上げ「テロだ」と主張するのですから、イスラエルの主張はあまりにもアンフェアです。
世界で最も頭の良い民族だとみなされている人々の国がしているのは、こんなことなのかと、その落差に唖然を禁じ得ません。
また、アメリカの仲裁で作られた「オスロ合意」の欺瞞も事あるごとにサイードは指摘します。
 PLOのアラファト議長はアラブ諸国では非常に人気の高い人物だと私は思い込んでいたのですが、組織を守るために汲々としていて民衆が本当に求めているものに応えていない、とサイードによる評価は冷淡です。なかでも驚いたのは、アメリカに媚を売るように、当時のヒラリー=クリントンにアラファトが宝石類をプレゼントしたというニュースです。(賄賂です。)
 サイードのような弱き者の声を代弁する、本当の意味での《知識人》がもはや絶滅危惧種となっているのが、残念でなりません。


ジョン=ダワー『敗北を抱きしめて』


 終戦直後の日本の様子を詳細に描いたベストセラーです。
 当時の日本人が非常に苦しい状況の中で、懸命に生き抜いている様子がよく伝わってきます。
「敗北を抱きしめて」というタイトルも素晴らしい。
家族のために早朝から闇市で働く少年、進駐米軍兵士と関係を持ったパンパンたち、アメリカから食料を運んできたお礼にマッカーサーへの盆踊りをする人々・・・
こう美化するのは当時の人たちに対して失礼なのかもしれませんが、焼け跡の中から新しい日本を築き直そうとする活き活きとした気概を感じました。
 また、占領下の強固な言論統制など、GHQの負の側面にも言及があります。
 少々びっくりしたのが、戦後のデモでプラカードに昭和天皇への揶揄を含んだ文言です。
天皇関連では、「南朝の末裔」を称する人物も何名か現れ、天皇を中心とした体制が当時は流動的な側面をもっていたことも窺えます。
 現在放映中の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」に関連した、当時のラジオ放送「カムカム英語」についても触れられています。
 戦後の「カストリ雑誌」「カストリ文学」という傾向を理解することによって、太宰治の作品に漂う退廃的なのもなんとなく合点がいきました。
「『走れメロス』を書いていた人が何故『人間失格』みたいな作品を作っていたのか分からない」というのが20代の頃の私の感覚でした。敗戦によってこれまでの価値観が徹底的に無下になっていった、そういうことが背景にあるわけです。
 上下2巻で、各々400ページ近くあるので、読むのに少々時間がかかりますが、しかしこのような学術書に類する本が2000年初頭のベストセラーとなっていたとは、少し前の日本人はまだまだ知的好奇心が高かったのだと慨嘆します。


笠原十九司『増補 南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか』


 少々デリケートな問題です。
「南京事件(南京大虐殺)」について、その実在について肯定派・否定派の間でどのような論争が行われてきたのかを通史的に理解でき、文庫サイズにコンパクトに収まっています。
巻末に年表が付されており、肯定派の書物の方が多く出版されていることが一目瞭然です。
 ドイツやフランスでは、「ホロコーストの嘘」などを出版することが法律で禁止されているのに対し、歴史学的には実在が証明されている「南京事件」について「まぼろし」だと主張する書物がいまだに出版され続けている日本の状況、その彼我の差を感じずにはいられません。
 各証言の間では齟齬・矛盾が生じることもありますが、証言や記録等々含めた各「史料」を照合・批判しながら総合的に考察し、「この史料からはこのことが証明できる」と導いていくのが歴史学的研究方法です。当たり前と言えば当たり前ではありますが、我々素人は見落としがちな点です。
 また、中国は犠牲者30万人を唱え、この事件を題材に過剰に愛国政策・日本への糾弾を行っている印象がありますが、中国国内の歴史学者は近年は冷静に事件を扱えるようになり、日本の歴史学者と共同研究できるようになってきています。
ほかにも、陸川(リク・セン)監督の映画『南京! 南京!』では、日本軍兵士・角川の虐殺命令への反感、迷い、戦争への嫌悪が強調され、彼が子どもを逃がして自らは自殺する様子も描かれていることが紹介され、この事件に対する中国国内の捉え方も日本糾弾一色ではなくなっていることが窺えます。
 南京大虐殺などを扱っていると、「自虐史観」と言われることがありますが、これに対しては、以下の北岡伸一氏の発言が簡潔な反論になると思います。

「こうした〔南京事件のような〕不快な事実を直視する知的勇気こそが、日本の誇りなのであって、過去の非行を認めないのは、恥ずかしいことだと思う」
日中歴史共同研究 日本側座長・北岡伸一

笠原十九司 著『増補 南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか』 平凡社2018 p313(引用文に若干語句の誤りがあったため、修正)(笠原十九司 編『戦争を知らない国民のための日中歴史認識 : 「日中歴史共同研究〈近現代史〉」を読む』勉誠出版 2010 が大元の掲載先)

 「戦争で人が死ぬのは当たり前じゃないか? 大げさではないか?」と感じておられる方へ、念のための補足を。
 日本軍と中国軍の戦闘で両国兵士に戦死者が出てしまうのは、戦争におけることでは当たり前で、これは致し方ありません。
(但し、それでも人殺しには違いありませんので、大局的にはよろしからざることだと私は感じます。また、中には嫌々徴兵された方もいたでしょう。)
 しかし、戦闘する意思を捨てた投降兵・捕虜や一般民衆(女性・老人・こども含む)に対する暴行・略奪・強姦・殺害及び民間施設の破壊・放火は度を越した行為であり、尚且つその規模が甚大であるからこそ、「大虐殺」として国際的にも非難されるわけです。


 以上、大雑把な書評ではありますが、今回はこんなところです。

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