劇場版『からかい上手の高木さん』感想
※トップ画像は、映像ディスクのジャケットより
©2022 山本崇一朗・小学館/劇場版からかい上手の高木さん製作委員会
東宝株式会社
今年何本か観た映画の中では『劇場版 からかい上手の高木さん』が個人的にとても良かった。
TVアニメ1~3期も予習を兼ねて視聴し、原作も読んでいく中で、予想していた以上にハマってしまった。
「女性にモテない男の願望を反映した、ただの萌え作品だろ」と侮っていたのだが、10代前半の恋愛が要所要所で瑞々しく描かれていて、作品の世界に魅入ってしまった。
劇場版はED主題歌が週替わりとなり、それぞれで感じる余韻が違うこともあり、4回以上観てしまった。(3回目からは、ストーリーをほぼ把握している状態だったので、食傷気味ではあったが・・・)
この劇場版については、公開時に優れたレビューが既にいくつも書かれているので「今さら」という感じが強いのだが、映画を観終えて味わった幸福感・満足感を残すためにも、映像ディスクが販売され、年の暮れのこの時期にここに記しておきたい。
なお、この作品の主人公男子については「西片」と呼び捨てにするのが一般的であるが、以下の記述でときおり「西片くん」と呼ぶことがあるのをご了承願いたい。それは、私なりにこの少年への敬意と親しみを込めたものである。
アニメ版の良さ
この作品は、高木さんが隣の席の西片をからかい、それに対する西片のドギマギした反応を楽しむラブコメとなっている。
西片は高木さんをからかい返そうと幾度も勝負を挑むのだが、正式に勝てたためしは無い。
実は高木さんは西片に好意を抱いており、からかいはその裏返しとも言える構造を取っている。(「好きな子にちょっかいを出す男の子」を女子がやっているものと捉えるとわかりやすい。)
西片からすると高木さんは、席が隣の人であり、比較的よく話せる女子であり、いつもからかってくる少し困った相手で、いつかは勝ちたい良きライバルであり、それでいてちょっと気になる女子という感じで、二人の間はつかず離れずなのがこの作品の基本的スタンスである。
アニメ版では、二人の距離が少しずつ近づいていくように描かれているのが原作とやや異なる点である。原作では離れた位置にある話を繋げながら、オリジナルの場面やストーリーを使い、ときに大胆な改変がなされつつ、西片が徐々に高木さんを意識していく様子が描かれている。
もともと、オムニバス形式の作品で色々と想像の余地があるから出来る芸当でもある。
「くっつきそうでくっつかない」絶妙な距離感を楽しむのもいいが、「この二人には仲良くなってほしい」というファンの要望に応えていて、なおかつ作品の雰囲気を壊さないようになっており、アニメ版は原作に対する敬意が感じられる。
映画のストーリのごく簡単な説明と感想
劇場版は、TVアニメ1~3期で紡いできた物語から、一つの完結を描いたものとなっている。
公式予告で分かるとおり、夏休みに子猫を拾い、里親が見つかるまで高木さんと西片が育てるという筋書きである。
終盤で少し悲しい出来事が起こり、それがきっかけで「二人の本当の始まり」となるお話である。
TOHO animation チャンネル 2022/05/09
©2022 山本崇一朗・小学館/劇場版からかい上手の高木さん製作委員会
より
壮大でドラマティックな話ではなく、中学生最後の夏の小さな物語に過ぎない。
しかし、2人にとってはかけがえのない出来事となっている。
ノスタルジーを感じさせる夏の美しい風景や、TV版と比べると少ししっとりとした印象の音楽もこの劇場版の魅力である。
企画段階では、フェリーで島を離れる高木さんに向けて西片が告白するという大胆なストーリー案もあったそうだが、小さな話にして正解だったと思う。子猫という小さな命を慈しみながら協力して育てている場面など、子どものころの純粋さがうまく描かれ、観ているこちらも二人のことが愛おしく感じられた。
「中学最後の夏」ということで、終わってしまうことのさみしさ・切なさをも感じさせつつも、煌めくビー玉のような美しいひとときを切り取った作品といえる。
アニメ『からかい上手の高木さん』公式twitter @takagi3_anime
午後0:50・2022年12月25日より
西片くんの成長・変化
劇場版を論じるにあたり、それに先立つTVアニメ3期の内容にも少し触れたい。これが映画の伏線にもなっているためである。
3期では、以前の関係から少し前に進んだ描写が多々見られた。
バレンタインの日には、後輩たちから貰ったチョコレートを西片は「受け取れません」と断り返上しており、彼なりの高木さんへのー自覚のないー誠意が表現されていた。
(チョコは本来別の先輩宛てのものだったというオチだが)
最終回「3月14日」では、木村とのやり取りを経て、高木さんがさりげなく伝えてきた言葉を思い出し、それが単なるからかいではなく、自分に向けられた好意なのではないかと西片は気づき始めている。居ても立っても居られず曇天の中、ホワイトチョコを片手に家から飛び出し、途中でチョコを車に轢かれたり、転倒してしまうなどトラブルに見舞われながらも、高木さんの元へ西片は走って行く。
「高木さんに会いたかったから!」と最も根源的な思いをまっすぐに伝えている。
曇り空から晴れ間へと変わり、桜の花が舞い散る中で手をつなぎ、見つめあっている二人の姿は、ベタな表現ではあるが、エンディングテーマとして流れる「花」と合わせて互いの気持ちが繋がっているように感じられ、とても良い。
TOHO animation チャンネル 2022/03/26
©2022 山本崇一朗・小学館/からかい上手の高木さん3製作委員会 より
ここまでの進展を踏まえれば、3年生になった西片には高木さんとの関係性や心境に変化があってもおかしくないのだが、劇場版では相も変わらず、からかわれっぱなしで、西片役の梶裕貴さんが指摘されているようにやたらと悶々としている。
釈然としないところではあるが、西片らしいと言えばらしい姿であり、この作品の基本構造を観客に理解させる形も担っている。
しかしながら、劇場版では彼の優しさや高木さんに歩み寄る描写も多々みられる。
オープニングでからかわれた後、恥ずかしがりながらも高木さんに対して「一緒に帰ろう」と自分から主張しており、虫送りで泣きじゃくる幼い子どもを勇気づける場面では、のちの「お父さん」の姿に通じるものが描かれている。
高木さんが写った写真データを見ては、考え込む姿も描かれ、彼女を意識している様子が見て取れる。
バスを待つシーンでは、翌年も二人で一緒に見に行くことを自然に提案しており、高木さんが伸ばした手に西片も手を伸ばそうとしている。
さりげない描写ではあるが、二人きりの静かな空間では「手をつなぎたい」という西片の意思がみられ、1~2年生のときの彼からすると大きな変化といえる。バスの到着で結局それはできなかったのだが、かえって彼の中での高木さんへの想いを強めていくことになったのではないかと思われる。(Blu-ray版特典ディスク「"ぶらり旅"上手の高橋さん in 小豆島」における赤城監督の発言参照)
このシーンは虫送りの美しい描写と合わせて物語前半の見所と言える。
「からかわれ上手の西片くん」という主人公
少し話が逸れるが、西片というキャラクターを考えるにあたって、山本崇一朗先生の他作品の主人公と比べてみると、「ヘタレ」という印象が拭えない。
『ふだつきのキョーコちゃん』の札月ケンジは、ヒロインの日々野さんを海やデート、夏祭りに自分から誘っており、非常に気を利かせながら誕生日プレゼントを贈り、夏祭りでは花火の良く見える場所へ自分からエスコートしている。
『それでも歩は寄せてくる』の田中歩は、体育祭の借り物競争でセンパイ(八乙女うるし)をお姫様抱っこし、相合傘に誘うことにもあまり躊躇は見せず、うるしの父親と直談判する度胸も見せている。当の本人には伝えないまでも、惚れていることを友人にも隠さず、まっすぐな態度を取っている。
少年期らしい恥じらいの描写を見せつつも、ケンジ・歩ともに女性に対して主体的にアプローチを重ね、いざという時には身体的接触も躊躇しない、ある種のヒーロー性を発揮している。
対する西片はというと、相合傘などで高木さんと肩が触れ合う距離にたっただけで動揺が明るみに出てしまい、相当勇気を振り絞らないとアプローチが出来ない。
では、西片はヒーロー性の無い凡庸な男の子なのかというと、決してそうは言い切れない。
「クリティカル」や「夜」といった話に見られるように、着飾らない自然なやさしさを彼はたびたび発揮している。
TVアニメ2期9話「お悩み」では、高木さんの友人・鷹川すみれですら気づかなかった彼女の元気の無さを西片だけが気付けている。
からかい勝負でも、高木さんが一方的に不利な状況になってしまいそうな場合は、勝負を取りやめにしたり、自ら負けを宣告する潔さもある。
ふとこれを私自身の中学生時代に当てはめてみると、彼のような振る舞いはとても出来なかったであろうと強く感じる。
高木さんのようにルールを逆手に取るようなからかいを受けたなら、未熟な自分は逆上していた可能性が高く、場合によっては相手との仲が険悪になっていたとしても不思議ではない。
女子からのからかいに対しては、反感するのが中学生男子としてリアルな姿なのではないだろうかと思う。
からかいに戸惑いつつも本気では反抗してこない西片だからこそ、高木さんは安心して、そしてやりすぎない程度に彼をからかうことができている。
「からかわれ上手の西片くん」という存在は、この作品に欠かすことのできない要素となっている。
「中学生」だから描けた初恋
この作品を考察する上で、「中学生」を題材にしたのがひとつのツボであると私は感じている。
10代の恋愛を表現する上では「高校生」でも十分あり得、世間一般にはそちらの方がウケが良いように思う。
しかし、高校生ではテーマ的にありがち・ありきたりであり、場合によってはあざとく感じられてしまうこともある。
かといって、「小学生」では純粋さを表現するには良いが、幼さゆえ恋が持続するのは難しいと視聴者が感じてしまい、リアリティをもった感情移入がしにくい問題点がある。
その点、子どもから大人の途中の段階であり且つ、思春期が始まる頃――異性を意識し始める頃――の微妙で不安定な時期にあたる「中学生」にスポットを当てることで「見守りたい初恋」がうまく表現できているように感じる。
クラスメートを気遣うやさしさ、相手のそのような一面に惹かれていく姿、友情から恋愛へと揺れ動く淡い関係性を表現できるのもこの年代の特筆といえる。
顔と顔が近づいたり、肩と肩が触れ合うことや手をつなぐだけでドキリとする西片の姿がこの作品では度々描かれている。身体的接触で男子側が動揺する様子というのは恋愛漫画では積極的には描かれないように思う。まどろっこしい印象ではあるが、「中学生男子」という年代で考えると、説得力のある描写である。上述の「クリティカル」などを高校生で描こうとすると、ここまで自然に表現するのは少し難しいのではないだろうか。
同性の友人の冷やかしも気になるため、男女が一緒に居るのにも抵抗があり、「付き合っていない」と彼がたびたび主張するのもよく分かるところである。
しかしながら、勇気を出せば「うまく行くかもしれない」という期待から、視聴者の共感を得られるのもこの作品の魅力である。
そのことは、夏まつりに高木さんを誘うのに非常に逡巡し、帰宅するところをいったん引き返してまでして、思い切って伝える西片の姿を描いた2期11話「約束」でうまく表現されている。
中学生の恋をリアルに表現しつつ、少しだけ前に踏み出す勇気が感じられる。
(ちなみに、山本先生の他作品『キョーコちゃん』『それあゆ』でも夏祭りは男子側から誘ったようだが、話を切り出す具体的な場面は描かれていない。)
個人的に気に入ったシーン:高木さんの「うん」
劇場版の虫送りに行く前の電話でのやり取りの中で、西片への返事で「うん」と言っている際の高木さんの声色が私にはとても印象的であった。
普段の教室でのやり取りの声と比較すると、電話越し用の音声処理の影響もあるが、やや気持ち高めの声で言っているように感じる。
短いながらもテンポよく「うん」「うん」と言っている中で、普通に受け答えしている様子を表現しつつも、嬉しさがにじみ出ているように感じられる。
(疑似的な)デートに西片の方から誘ってくれ、蛍を一緒に見に行きたいと望んでいた最中だったことも影響しているであろう。
アニメ『からかい上手の高木さん』公式twitter @takagi3_anime
午後0:22・2022年12月25日より
2年生のときに西片から夏祭りに誘われたことがあったが、あのときは夏祭りを意識させるはたらきかけを高木さん側から事前に何回か行った結果であり、これだけすんなりと西片から誘ってもらえたのは今回の虫送りが初めてではないかと思われる。
感情の波をあまり表さず、ふとすると冷静沈着だと思われがちな高木さんが、等身大の10代の少女であることを感じられるシーンである。高木さんを演じるにあたって、距離を詰める場面で少し引くことを心がけているという高橋李依さんの演技が遺憾なく発揮されているシーンだと私は感じた。
これ以外でも、高木さんの膝の上で眠るハナに話しかけるために、西片が高木さんの膝に顔を寄せ、期せずして膝枕の状態になり、顔を赤らめ動揺するシーンでも彼女の心の揺れが描かれている。
――と言いながらも、劇場版の他のシーンでの高木さんの「うん」という受け答えと冷静に聞き比べてみると、大して違わないようにも感じた。私の思い違いか・・・
告白での手をつなぐシーン
(以降、結末のネタバレ含む)
映画の終盤では、二人が育てていた子猫・ハナが迷子になり、小学校低学年くらいの幼い兄妹に拾われ、飼われてしまう。
その兄妹がかつて飼っていた・亡くなったばかりの猫「ナナ」にそっくりであり、自分たちに非常に懐いている様子からも、ナナが帰ってきたに違いないと兄が母親を説得して、ハナを飼うことになる。
西片は事情を説明して「ハナ」を返してもらおうとするのだが、目を輝かせながら喜び「ずーっとずーっと一緒にいようね、ナナ。」と喜ぶ兄妹と、幸せそうに懐いているハナの姿を観ていた高木さんに無言で引き止められる。
このあと、子猫の飼い主募集ポスターを外し、黄昏時に沈痛な面持ちで帰る道の中、突如堰を切ったように高木さんが堪え切れずに涙を流してしまう。
高木さんの涙を前にして、西片も泣きそうになるが、ぐっとこらえ、励ましの言葉をかけ、そして思いの丈をぶつける。
おそらく、この告白シーンがこの劇場版で一番賛否が分かれるところであろう。
子猫の幸せを願うことに絡ませて、「高木さんの幸せ」にまで話を進めてしまっている。プロポーズとも受け取れる言葉であり、飛躍・唐突感が否めない。
しかしながら、1~3期まで互いの絆を深めていった二人、西片くんに内在する成長に目を向けるならば、出るべくして出た彼の結論なのだと、私は思いたい。
振り返ってみると、3期の最終回では高木さんが西片の手を握っていて、劇場版では西片が高木さんの手を握っている。
3期では、バレンタインのお返しができなくなり落ち込む西片を励まし、自分に会いに来てくれたことへの感謝の気持ちを伝えるため、高木さんが西片の手を握っていた。
劇場版では、気持ちの整理がつかずに泣き崩れる高木さんを励まし、安心させるために西片が高木さんの手を握っていた。
高木さんを悲しませたくない、笑顔にさせたいという彼の素直な心の表れであり、同時にそれまで目を背けがちだった自身の恋心に対する気恥ずかしさを振り払い、人を好きになる気持ちを正直に受け入れることの表れでもあると思う。
繰り返しになるが、3期の終盤の彼の姿を見ると、高木さんからの好意に気づき始め、そして自分の中で彼女を異性として意識し始めていることにも半ば気づいている様子がわかる。
しかし、その恋に正面から向き合うことには羞恥を感じているようである。
この3期終盤から映画の中盤までは相変わらず二人の「からかい」勝負が続き、友情とも恋愛ともとれない宙吊りの関係が継続している。
高木さんはあの手この手で西片に交際を意識させるからかいを出し続け、彼の心境も揺れ動いている。
あとは西片がどこでどう決意し、踏み出すかである。
高木さんが泣く姿を描いてしまうのは、平和な日常を描いてきたこの作品からすると、その雰囲気を壊しかねない相当ギリギリの表現だといえる。
小さな物語の思いもしなかった終わりであると同時に、これまで無敵だとすら思われていた高木さんの完全なる敗北でもある。
高木さんの笑い泣きは見たことがあるけれども、一度も目にしたことの無かった悲しみの涙に触れてしまい、西片は土壇場の状態だったであろう。
一緒に泣いて悲しみを分かち合うことも彼にはできた。
しかし、彼はそうしなかった。
その悲しみに寄り添いながらも、真正面から向き合い、励ましの言葉をかけた。
目の前にいる友人が心の底から打ちひしがれているときに「力になりたい」と思うのは、極めて自然な気持ちである。
それが10代前半で、なおかつ相手が自分に好意を寄せてくれている人であり、自分も心の奥底では好きになっている相手であれば、なおさらである。
彼はそちらに賭けたと言える。
ハナと離れることを彼女自身が受け入れて、しかしそのことに十分には納得できておらず後悔していること、落ち着きを失いぼろぼろと泣き崩れてしまう高木さんを前にし、自分も泣き出しそうになるところをぐっと踏みとどまり、少年は少女の手をやさしく握る。
彼女の選択は決して間違っていないと諭して励ます。
「うん、ハナは幸せになる。絶対。」
「高木さんだって幸せだよ。」
「高木さんは幸せになる。」
「高木さんを、 幸せにする。」
「絶対、ずっと、ずっと。」
アニメ『からかい上手の高木さん』公式twitter @takagi3_anime
午後1:00・2022年12月25日より
西片が握る手を少し強くした後、「高木さんを幸せにする」の言葉で、高木さんの手の震えが止まる。涙も止まっている。
ここで、3期の第1話・高木さんの夢の中でかかっていたBGMの完全版が流れている。あのときは、西片から何かの言葉を告げられるのだが、風と花吹雪に紛れて結局聞き取れず、音楽もそこで途切れていた。
ここで西片が告げた言葉は、高木さんがずっと望んでいた、いやむしろそれ以上の言葉であろう。
彼女の幸せを願う気持ちをひとつひとつ、ゆっくりと丁寧に、そして淀みなく重ねて語っているここでの西片は、高木さんへの想いが溢れて止まらなかったのではないかと思う。
西片は「高木さんを幸せにする」と言っていて、「オレが高木さんを幸せにする」とは言っていない。
私の勘に過ぎないが、「オレが」という主語を省いたこのわずかな表現の違いが重要な気がしてならない。
誰が彼女を幸せにするのか?
そんなことは言わなくとも分かり切っている。
直前の「高木さんは幸せになる」というセリフの流れからも、敢えて「オレが」と言わなかったことで、自分の目の前に少女の悲しみを拭い去り、励まし、幸せにすることこそが今この場で一番重要なことだと西片が感じていたと解釈できる。彼のまっすぐな気持ちがより強く現れているように思う。
劇場で観た方は皆が感じたことと思うが、夕暮れ時も重なり、この時の二人は明らかに大人びた顔つきになっている。
特に西片にそれが顕著である。
原作でもアニメでも、普段の彼の目は白目の中にポツンと小さい丸のような瞳が描かれていて、白目率が高いせいか、彼の幼さを印象づけている。
しかし、このシーンでは目全体の大きさは変わらないながらも瞳が大きく描かれ、その中の影やハイライトがしっかり描き込まれている。
この表現が、ぐっと大人びた印象を与え、瞳の中の光が彼の一途な気持ちを表現している。
この時の彼の瞳は澄んでいて、その顔つきは頼もしく、そして何よりも優しい。
カメラが引いていくシーンで少しわかりにくいが、「絶対、ずっと、ずっと。」のあとで、高木さんは小さく頷いている。
「西片くんならば高木さんを幸せにできる」とこの場面でファンは確信できたのではないだろうか。
物語のラスト
告白の後の西片は、高木さんを愛することを受け入れている様子が見られる。
夏祭りデートの最中、屋台のおじさんからカップルとして見られても、照れながらも助言を受け入れており、友人の木村・高尾に会った際に「デートじゃない」などの弁明も一切していない。
(ここは、二人の恋を暖かく見守る木村くんと高尾くんの成長が見られるシーンでもある。)
梶裕貴さんが注目するように、穴場の特等席への階段を登る際、ごく自然に笑顔で高木さんに自ら手をつないでいて、高木さんもこの時嬉しそうな表情である。
1年前の夏まつりでは「はぐれたら困る」「階段が急で危ない」と言い訳をしつつ赤面しながら手をつないでいたのに、である。
これは虫送りの頃までの彼ならば全く考えられない対応である。
映画のラストで高木さんからも告白の言葉をかけられるのだが、普段の彼ならば、明後日の方向を見ながら顔を赤らめ「またオレをからかって・・・」と言うところだが、そんな姿は見せない。
3期主題歌『まっすぐ』には、
「何度も言葉にして、私なりの形で想いを伝えてきたからね。これからは素直なままで受け取ってみて」
という歌詞があり、劇場版のラストがこのことを表現しているように思えた。
高木さんは西片に対して、これまでもそれとなく好意を伝えてきた。
しかし、それはいつも「からかい」だと受け取られ、西片にちゃんと伝わったことはほとんど無かった。
けれども、今度はストレートに伝える。
西片から告白の言葉を受けたからこそ、夏祭りの日に彼女も一歩踏み出す決意ができたのであろう。
「からかい」ではなく素直な気持ちで、何よりも「西片がこの言葉を受け入れてくれる」という確信を持って高木さんは言ったと思われる。
「ねぇ、西片」と問いかけた後、高木さんは西片をまっすぐ見つめて笑顔で伝える。
「私も西片を幸せにするよ。」
ほんの一瞬戸惑いながらも、少年は笑顔で頼もしく「うん」と頷く。
アニメ『からかい上手の高木さん』公式twitter @takagi3_anime
午後1:03 · 2022年12月25日 より
エンディングで流れる、アニメ1期~3期の映像、原作の扉絵も併せて考えると、これまでの足掛け四年のアニメのあゆみ、製作スタッフの方々の努力、なにより中学の3年間の二人の「からかい」は全てこの時のためにあったのだと感じられてくる。
西片くんと高木さん、二人が育んできた絆が為せる業である。
『からかい上手の高木さん』は「ねぇ西片」というセリフで始まり、奇しくも「ねぇ西片」というセリフをもって終わることにふと気づいた。
高木さんから投げかけられた言葉に、西片が頷くことで、もはやこれは恋心を手玉に取る「からかい」ではなくなってしまい、流れているBGMのことも併せて、二人の気持ちが確かに通じ合ったことが分かる。
これまでのようなかすかな恋心を翻弄させるような「からかい」はもうできず、物語が完結してしまう悲しさはあるが、変わっていってしまうものがたくさんある中、変わらずに残っていくものもあるのだと感じさせてくれるラストである。
二人で一緒に花火を見ることは1年前の夏祭りではできなかったが、今度はできた。
打ち上がる大輪の花が、二人を祝福しているように思えてならない。
アニメ『からかい上手の高木さん』公式twitter @takagi3_anime
午後7:30・2022年8月8日 より
今後の展開
これほどキレイな完結を見せられるとなかなか難しいが、それでもこの二人の話をまだまだ見たいという思いもある。
西片くんの恋心を手玉に取る「からかい」はもうできないかもしれないが、高木さんは親しみを込めたからかいを今後も続けるであろう。
2年生終わりから3年生夏までの間に何があったのか、修学旅行は?二人が出会う前の「りんご取り」の話は? 映画の後日談となるシンガーソングライターが小豆島に来る話や二人が公式に交際しているデートの話はどうなるかなど、まだ映像化されていない原作の話もあるため、興味が尽きない。
個人的には、高木さんがなぜ西片くんを好きになっていったのかをもう少し掘り下げた話を見てみたいものである。
中学を卒業するときはどうなるのだろうかなど考えると、原作がどう終結していくのかも気になるところである。
3人娘の話
この作品は、西片と高木さんの二人の仲がメインテーマではあるが、準主人公ともいうべきミナ・ユカリ・サナエの3人組の友情譚も非常に良かった。
この三人がいるおかげで、西片と高木さんの関係がほかのクラスメイトからどう見られているかが立体的に描かれているように思う。
特に3期での文化祭や最終話の「西片クエスト」に触れたミナの感想によってそのことが浮き彫りになったように感じる。
劇場版では、進路との兼ね合いで高校では離れ離れになる可能性を抱き、中学最後の夏を終わってほしくないと思いながらも3人で共に過ごす日々が描かれている。
シャボン玉を飛ばし、フェリーに手を振り、サナエを中心にして3人が手をつなぐ場面は終わっていってしまうもの、変わっていってしまうものを予感させ、切なさが感じられた。
アニメ『からかい上手の高木さん』公式twitter @takagi3_anime
午後0:53・2022年12月25日より
それでも最後には、皆と同じ高校に進学し自分の夢と友情の両立をサナエは決める。
「よかったぁ・・・」と涙をこぼしながら安堵の表情を浮かべたミナの姿が非常に気持ちがこもっていて、共に涙を拭うユカリの姿と合わせてとても良かった。
「サナエちゃんが残ると決めて、少しウルっときた」と大学生くらいの女性客が、劇場で友人と感想を言い合っているのを耳にしたことが印象的である。
ㅤ義務教育の後では、仲の良い友人同士であっても、別々の進路に進むのが普通である。
この話はある種のユートピアではあるけれども、この三人のこれからも変わらぬであろう友情を信じ、感激してしまう。これもまた、変わらずに残っていくものもあるのだと感じさせてくれるエピソードである。
3人が夏祭りで笑顔で手を繋いでいた姿から、私自身の中学3年間で共に過ごした部活の友人たちのことをふと思い出した。
ふざけて腹の底から笑いあった日々、夏の部活の帰り道に駄菓子屋でアイスを買い食いしたときのこと、よく私の頬をつねり・引っ張っていた友人らのことを。
(当時の私の頬はやたら柔らかく、触り心地がよかったらしい。サナエとミナのようなかわいらしさはないけど。)
もう連絡も途絶えて20年以上経ってしまったが、何だか無性にまた彼らに会いたくなった。
蛇足
この夏、劇場版高木さんを観るために、映画館併設のイオンに足を運ぶと、「夏をカジろう」というテーマの広告がでかでかと表示されていた。
派手な黄色のスーツを身にまとい、サングラスを掛け、スイカを片手に持ち斜に構える梶裕貴さんがイメージキャラクターである。
これが西片くんの中の人なのかと思うと、私の脳がバグを起こしていた。
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