第六十九回:循環

我が子が登校する
時間帯に
犬の散歩で
いつも
家の前を
通っていく
おじいさん

いたのですが、
今朝は見かけませんでした。

先日
恐らく
初めて
挨拶をしてくださった
のですが、
我が子が
返事をできませんでした
ので、
気まずくなってしまった
のではないか

少し
心配しています。

シャイな子

意図せずして
他人の好意を無下にする
ことがありますので、
本当に
残念だなぁ
と思うことがあります。

これもひとえに
甘え
なのでしょうね。

これは
どちらかというと
聴覚機能

プライド

問題かもしれませんが、
挨拶しない人
挨拶されても返事しない人

ご老人でもいますね。

けれど、
いずれにせよ
挨拶を返さない人
挨拶をできない人

今度は
挨拶をされなくなる
のですよね。

他人の心を無下にする
ということは、
そういうこと
なのですよね。

我が子、
恐らく、
私がいないところでは、
挨拶も
それなりに
できている

信じたい
のですが、
どうなのかしら?

眼だけ
飛ばして
そのものを見る
ことは
できませんので、
どうなのだろう?
と思います。

ただ、
もしかすると、
親の前でも
きちんと
挨拶できるようになって
初めて
挨拶ができる

言えるのかもしれませんね。

思えば、
そうですね。

子どもが
恐らく、
一番認められたいのが、
親でしょうから、
親の前でできない間

子ども本人としても
できる
という
自信には
なっていない
のでしょう。

ここ数日
あるブロガーさん

日記に
すっかり
同情してしまって、
我が子のこと

おろそかになっていた
のですが、
その間に
いつの間にか
宿題を
自分で持ってきて、
その日にやる分

自分でやるようになり、
学校の準備も
自分でやるようになりました。

つくづく
過保護だった
のかしら?
と。

ちょっとばかし
無関心
肌身離さず
ではなく、
肌を離しても
いいのかしら?
と思いました。

見習いに出す
には
いい時期
なのかもしれませんね。

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