真夏のリプレイスメンツに寄せて

2022.7.23 
真夏のリプレイスメンツ

朝帰ってきてから体も動かず何故か全身筋肉痛で予定をリスケし、1日寝て過ごすくらい満身創痍で遊んだ。そんな風に1日寝ていながら考えたことを文章にするべきだと思い、ここに残しておく。

6/5に自分の企画をやってから、いくつかのライブを見て、そしてリプレイスメンツを見た今も答えが出ていないいくつかの事柄について。自由と規制、協調と拒絶、少数と多数、誰も傷つけないことは果たして誰に対しても優しいことなのか。

自分の行動に自分で責任を取らない奴が嫌いだ。主催がうるさいこと言わないからとそこに甘んじて好き勝手やる様はダサい、やるなら気合い入れて覚悟持ってやれ。あの場にいて好き放題やった人の中で、自分でケツ拭く気があるやつは何人いたのだろう。バンドからルールを守ってくださいとアナウンスされて何もやらなくなるなら鼻からイキってんじゃねえよ。

だけどそれと同じくらいルールに固執する人も嫌いだ。ライブハウスはルールを守る為にある場所ではない。そもそもモッシュもダイブもコロナ前から禁止行為で誰かに許可されて行うモノではなく、ルールからの逸脱が度々起こることが前提のパンク/ロックの現場において、安全を保証してほしかったり、ルールを守れない誰かを見て憤るくらいなら実力行使でシバキあげるかその場から去る方が建設的ではないのか。

誰かを傷つけたいと思っているわけもない。ルールは守ったほうがいいし、仲悪いより良い方がいい。恨むよりも許したい。そんなことは分かっている。

だけれど、誰も傷つけないということは現実的行動からするに「ある事象を許容できない人」と「ある事象をあまり許容できない人」を傷つけない為に「ある事象をそれなりに許容できる人」と「ある事象を許容できる人」が行動を寄せることだ。コロナ禍のライブハウスにおいては多分前者の方が多数派であって後者は少数派である。多数派の利益=最大多数の最大幸福を実現する為に、少数派を毀損し続ける現状は本当に正しいことなのか。それが本当に優しいということなのか。
今は諸々のガイドラインなどのルールが前者側に寄っていて、大義名分を獲得しているからこそ余計に話が難しい。

やっぱり答えは出ない。
ただ少なくとも、考え続けたいと思う。

ライブハウスは全てのマイノリティが許容される空間であってほしい。どんなに様子がおかしくても、その場から排除されることのない場所であってほしい。

自分はパンク・ハードコアの出身だ。
初めて行ったハードコアのライブハウスは自由だった。明文化された規制はないが、不文律はある、全てが自由である代わりに責任も全て自分だった。
モッシュ・ダイブで怪我しても自己責任、怪我したくないなら近寄らない。人のこと突き飛ばして、頭の上転がるなんてそもそもただの暴力だからそのことによって殴られても自己責任。(勿論納得いかないなら殴り返せば良い話)
そうした環境で自由とそれに伴う責任を(それなりに痛い思いもしながら)学んだ。

自由はルールによって担保されるのでは決してない、自由は誰かの責任によって担保される。それを人に持たせるのか、自分で背負うのか。

はー文章も気持ちもまとまらないなぁ。

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