つらい

つらい
とりあえず今のままでは不満しか溜まらないと気づいたので、何かしら変化を探し求めている。ここ最近(noteを始める数日前から)、頭が混乱している。有線ケーブルと毛糸がもつれて絡まった上に、霧がぼんやりかかっているような感覚がずっとある。霧を払って、ケーブルと毛糸のもつれを解消すれば、もっと多くのことにアンテナが向くと思うのだが、今のところ解けそうにないし、日々を追うごとにそのもつれは深刻さを増し続けている。なんとか払おうと試みるための解決法として、このように文字に書き起こしているので、話が二転三転したり、文がどこに係るかが見えづらいものもそのままにしている。
色々とあるのだが、それを時系列に起こすのは難しいので、思いついた限りで羅列してみる。
まず、食事について。僕は外食があまり好きではない。これは自分でもなんか人と違う感性だと思ってしまうのだが、好きではないのだから認めるしかない。理由としては、外食はお金がかさむし、量が少なく物足りない気がするのだ。自炊なら多くの量で同じ味で安く食べられるのに、どうしてわざわざ外食しないといけないのか?外食はまず空いてるかのチェックを要するし、並んでいるなら待つ必要もある。そういうのも煩わしいと思ってしまう。だから、頻繁に外食に連れて行かれると内心「やめてくれ…」と思ってしまう。では、奢って貰えばいいかというと、そういうわけでもない。奢ってもらったとしても、お金がかかったことに変わりはないのだから、心に何かしらの負担を強いるのに変わりはない。ここでは、奢りという「贈与」が発生したと考え、それが「今後はよろしく頼むよ」という重荷に感じてしまうのだ。その重さは、外食の値段におおむね比例する。以上より、僕は外食が好きではないのだ。ところが家主は自炊が嫌いで外食を好むので、ついて行かざるを得ないのだ。断ってもいいのだろうか、でもそれで不機嫌になられる方が嫌である。
あと、電話を家でできないこともめんどくさい。僕はなんでかわからないが、人のいる家で電話をしたがらないのだ。だから、長電話の場合外を散歩することになる。これは問題ないのだが、ネットを必要とする場合はわざわざお金を払って然るべきところに行く必要もある。家から近ければ問題ないのだが、これが遠いとバスの終電を逃して帰れなくなる。そういう連鎖を生むのところに辛さがある。
続いて、引越しについてである。僕は片付けが苦手で時間がかかるのに、片付けの最終形態みたいなことをしなければならない。これがまずつらい。しかも、アルバイトで帰りが遅くなった上にその作業をしなければならないので、一日ごとの進捗が遅いのだ。これだと部屋中に段ボールが散乱し、心もすさむ一方である。僕はどの段ボールに何が入っているか一目で確認したいと思っているタイプなので、モノを一つ一つリストに追加していきたいのだが、それだとやっぱりめちゃくちゃ時間がかかってしまう。せめて音声入力が許されていれば効率的なのだが、同居人がいる以上発生することすらためらわれる。よってイヤなことを時間をかけてしなければならないという辛さが慢性的にある。
こういう状況なので、確ッッ実に4月1日に「会社やめたい」とツイートすることになると予想している。例年そういう人は一定数現れているようだが、その一人に自分が加わることになるとは、情けないものである。「会社やめたい」のツイートの数だけ複雑な物語があるのだから、一点だけをみてあーだこーだ言ってはいけないなぁ、と勝手に共感して教訓めいたことを思ったりしている。他の人はいざ知らず、こと自分に関しては2年前から語り始めなければ「会社やめたい」の真意を理解してもらえないだろう。いや、2年も前から話しても、長すぎて聞いてくれないに違いない。でも、どこかで吐き出したい気もある。

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