自分にとって楽譜とは何か

※この記事はオンラインの「さっきょく塾」のために書かれたものです。

演奏家としての自分にとって楽譜とは「なるべく避けたいもの」です。

ジャズの演奏をする時は出来ればコードやメロディが書かれた楽譜を使わずCDなどから曲を覚えたいと思っています。自由な即興演奏の時も出来れば何も事前に決めずメモも置かずに演奏したいと思っています。コラボレーションの時は事前に時間的な流れを決める時もありますが、もし余裕があればその流れも覚えてしまってメモを見ずにやりたいと思っています。

なぜなら、目で見た情報をもとに演奏をするよりも、自分の中にある情報をもとに演奏をする方が演奏の質が良くなる傾向が自分にはあります。他の方はどうなのかよくわかりません。もしかしたら単純に楽譜を読み取る力が低いという事なのかもしれない。
普段は音の流れやその場の雰囲気を感じてそれに反応しながら演奏するのですが、紙に書いてあるものを演奏する時はその流れにそぐわないことをやってしまいがちなのです。後から録音を聴いたりすると、その部分がやはり不自然に感じることが多いです。

逆にいうと、楽譜のあるものを演奏する時は自分の不器用さに苛立ちを感じながらも、そこに揺るがない確固たる世界が存在する安心感を感じることもあります。

作品を作る立場としては、楽譜というのは曖昧な存在だなーと思います。
電子音楽などで最終的な音までコントロールする作曲家に比べて、演奏家がいる場合は演奏家がもともと持っている表現の傾向が音楽に大きな影響を及ぼすと感じています。それはコラボレーションという意味では面白いし、作品においてチャレンジをする時はそれが足かせになる時もあります。

また全然別の話ですが、以前二台ハープのために音がとても少ない曲を書いたことがあります。

この時は普通の四分音符や八分音符を使って書きました。便宜的なカウントや小節線もあります。
私はこの曲のリハーサルでとてもとても口うるさくひとつひとつの音のニュアンスについて要求をしました。今思うと、失礼だったなーと感じます。でもその部分を曲の重要な要素として表現したい思いがあったのも事実です。その割りには楽譜には反映されていなかったのですが。
自分のやりたい事と、それをどう記譜として表現するか考えられていなかったという反省例です。


なんにせよ演奏する時も作品を作る時も、音のはっきりとしたピッチやリズムよりも、その微妙な違いによるニュアンスに対してのこだわりが強いです。物理的にはものすごく細かい差です。
その差を合理的に他の人とコミュニケーションできるやり方を考えていくのも楽しそうだなー、とこの文章を書いて思いました。


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